御霊に満たされなさい エペソ5章15-21節
これまでキリスト者としての新しい生き方を見てきました。今回は、そのまとめとも言える箇所です。まず、文章の大まかな構造を理解しましょう。15節前半には、自分の生き方によく注意を払うようにとの勧告があります。そして15節後半から18節までは、三つの対比を用いて、注意深く歩むとはどういうことかが説明されています。日本語訳では、その対比(「~ではなく(メー)、むしろ(アッラ)……」という構造)が少し見えづらいかもしれません。
最初の対比は、「知恵のない者」ではなく、むしろ「知恵のある者」として生きるということです。聖書が「知恵」と言う場合、必ずしもIQや学歴の高さを意味しません。「知識」が情報の集積であるのに対し、聖書が示す知恵とは、「箴言」が教えているように、神を恐れ(箴言9:10)、神のみこころを理解し、それに従って賢明に生きる知恵です。神をしっかり視野に入れ、神と共に歩むなら、お金や性や仕事や趣味などを正しく位置づけることができ、人生につきものの様々な誘惑を避け、困難を乗り越えていくことができるでしょう。
16節の「機会を十分に活かしなさい」とは、知恵のある者としての生き方が、時間や与えられた機会の用い方によく現れるからでしょう。私たちには、一人ひとりに同じ一日二十四時間が与えられています。しかし、その時間や機会をどのように活かすかは、人生の目標をどこに置くかによって大きく変わってきます。現代はストレスの多い社会です。リフレッシュすることも大切ですが、スマホなどに長時間を費やしてしまうことも容易な時代です。だれも過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。だからこそ、何を優先すべきかをしっかり見据えることが必要です。
二つ目の対比は、「愚かにな」るのではなく、むしろ「主のみこころ……を悟りなさい」(17節。参 10節)です。「悟る」とは、「理解する」「把握する」「洞察を得る」という意味です。
「主のみこころ」と言うと、私たちは自分の人生における具体的な導き(進路や仕事、結婚、居住場所など)を思い浮かべるかもしれません。しかし、パウロがここでおもに念頭に置いているのは、みことばに記されていない事柄ではなく、すでにみことばによって示されている神のご計画や、キリスト者としての新しい生き方でしょう。みことばは、私たちが知りたいと思っている個人的な導きのすべてを明らかにはしていません。しかし、進むべき正しい方向性は明確に示しています。その方向性の中で、祈り、熟慮し、ときには信頼できる経験豊かな人の助言を受けながら、神のみこころが次第に明らかになってくるのでしょう。
三つ目の対比は、「ぶどう酒に酔ってはいけません」と、「むしろ、御霊に満たされなさい」です(18節)。酒に酔うことと御霊に満たされることは、どちらも人が何に支配されるかという点では共通しています。しかし、その結果は正反対です。酒に酔うなら、「放蕩」へと向かいます。「放蕩」とは、自制心を失い、身を持ち崩すような生き方を表しています。酒に支配されるなら、理性を失い、普段ならしないような行動を取ってしまうこともあるでしょう(箴言23:29-35)。一方、御霊に満たされるなら、19~21節に描かれているような実を結ぶようになります。
19節から21節は、「御霊に満たされなさい」という命令にかかる五つの現在分詞で構成されており、御霊に満たされた結果や特徴を描写しています。 〈以下省略〉
このメッセージは2026.6.21のものです。


