新しい人として生きる エペソ4章17-24節

 パウロは、この手紙全体を通して、読者たちの信仰を持つ前と後を対比しています。今回の箇所もその一つです(参 2:1-8, 11-13, 4:17-24, 5:8)。パウロが彼らの過去に言及するのは、単に過去を思い出させるためではなく、かつてとは異なる新しい生き方へと歩み始めていることを自覚させるためです。

 パウロは、「キリストのからだ」(教会)が「成熟した大人」となることを目指していることを述べた後、「主にあって厳かに勧めます」(17節)と語ります。「主にあって」とは、この勧告が単なる個人的意見ではなく、主の権威に基づくものであることを示しています。

その内容は、「あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません」というものです。しかし、この手紙の主な読者たちは異邦人でした(参 2:11, 3:1)。それにもかかわらず、「異邦人のように歩んではならない」と言われているのは、回心前の異邦人のような考え方や生活に戻ってはならないという意味です。彼らは今も異邦人社会の中で生活していますが、かつての生き方へ逆戻りしてはならないのです。

 パウロは17–19節で異邦人たちの状態を描写しています。17–18節では内面の状態が、19節ではその結果として外側に現れた行動が説明されています。

 異邦人の内面の状態の第一は、「むなしい心」です。「むなしい」(マタイオテース)とは、空虚で目的を見失った状態を表します。真の神を知らないために、人生の意味や目的を見失っているのです。第二は、「知性において暗くな」っていることです。これは、神について正しく理解することができない霊的暗闇を示しています。第三は、「神のいのちから遠く離れてい」ることです。そして、その原因として、「彼らのうちにある無知と、頑なな心」が挙げられています。彼らは神を認めることを頑なに拒み、その結果、神との交わりから離れているのです(参 2:12-13)。


 パウロはローマ人への手紙1章18–32節でも異邦人の堕落した状態を描写していますが、ここでも非常によく似た内容を語っています。         

   19-21節の解説は省略



 パウロは22–24節では、読者たちがキリストにあって何を教えられたのかを、「服を脱ぐ、着る」という比喩を用いて説明しています。

 第一に、「古い人を、・・・脱ぎ捨てる」(22節)ことです。これは、回心の時に起こった決定的な転換を指していると考えられます。かつての異邦人的な生き方を捨て去ったのです(参 コロサイ3:9-10)。

 第二に、「新しい人を着る」(24節)ことです。これも、神によって新しい存在へと変えられ、新しい生き方を始めたことを示しています。

その新しい人は、「真理に基づく義と聖」をもって造られた者です。古い人が「欺く欲情」によって滅びていくのに対し、新しい人は真理に属する義と聖さによって特徴づけられています。

 第三に、「霊と心において新しくされ続け」る(23節)ことです。ここでは現在時制が用いられており、継続的な刷新が示されています。信者はすでに新しい人とされていますが、なお肉の弱さを持ち、罪との葛藤の中を生きています。そのため、神によって絶えず内面を新しくされ続ける必要があるのです。

 パウロは、私たちにとって身近な「服を脱ぐ、着る」という日常的な行動の比喩を用いて、古い生き方から新しい生き方への転換を説明しています。そして25節以降では、その新しい人の生き方が具体的に説明されていきます。もし私たちが神によって新しく造られたのであれば(2:10、Ⅱコリント5:17)、古い生き方へ逆戻りすることはできません。新しく造られた者として、それにふさわしい生き方を求めて歩むべきなのです。


           このメッセージは2026.5.17のものです。