からだの目指すもの エペソ4章12-16節


 キリストは、ご自身の「からだ」である教会に、さまざまな賜物を与えられました。エペソ人への手紙では、その中の五つ(みことばの奉仕者たち)が取り上げられています。では、彼らの目的(使命)は何でしょうか。12節にその答えがあります。

 12節は、「聖徒たちを整え」る、「奉仕の働きをさせ」る、「キリストのからだを建て上げる」の三つの句に分けることができます。三つすべてを、みことばの奉仕者(牧師)だけの働きと考える人もいるかもしれません。しかし、みことばの奉仕者の使命は、信者たち「一人ひとり」(7節)が与えられている賜物を用いて奉仕することができるように整えることです。ですから、実際に奉仕するのはすべての信者であり、三つ目の「キリストのからだを建て上げる」(教会形成)ことも、すべての信者の使命と考えるべきでしょう。

 13節には、からだである教会の目指すべき到達点が示されています。13節も三つの句に分けることができるでしょう。しかし、それら三つは、成長の段階というよりも、一つの目標の三つの異なる側面として理解したほうがよいでしょう。

 まず一つ目の「神の御子に対する信仰と知識において一つとなり」とは、「神の御子」に対する信仰と理解を共有するということです。皆がばらばらの理解を持っているなら、混乱が生じてしまいます。二つ目の「一人の成熟した大人となって」とは、最初は「子ども」(14節)のような状態であったとしても、目指すべきは、だんだんと成長して「成熟した大人」となることだということです。ここでの「一人の成熟した大人」とは、個々のキリスト者のことではなく、教会全体のことです。

三つ目の「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」とは、からだの成長の最終的な目標はキリストであるということです(参 15節)。

14-15節の解説につては、省略

 パウロは、16節では「からだ」の比喩を用いて教会の成長を説明しています。成長のために大切なのは、「からだ全体」の「それぞれの部分」が、「組み合わされ」(参 2:21)、「つなぎ合わされ(る)」(参 コロサイ2:19)ということです。からだの「それぞれの部分」がばらばらでは、その機能を果たすことはできないからです。

 パウロは16節においても、「愛のうちに(エン・アガペー)」(2、15節)ということばを用いています。もしパウロが、比喩を用いずに教会形成に大切なことを説明していたなら、「真理」と「愛」の二つを強調していたのではないでしょうか。教会が成長するためには、みことばの真理に対する確かな一致は不可欠でしょう(参 使徒20:32)。しかし、たとえみことばの真理に精通していたとしても、そこに愛が欠けているなら、やがては仲間割れしてしまうことになるでしょう(参 Ⅰコリント13:2)。

 ところで、私たちの教会の状態は、「幼児」のような状態から「成熟した大人」に至るまでの、どの段階にあるでしょうか。みことばの理解に一致がなく、それぞれが自己中心的であるなら、「幼児」のような状態と診断されてもしかたがないでしょう。今、私たちがどのような段階にあるのかを見極めながら、「かしらであるキリストに向かって成長すること」(15節)を目指していきましょう。


                このメッセージは2026.5.3のものです。