からだに与えられた多様な賜物 エペソ4章7-11節
先の箇所(1-6節)では、からだ(教会)の一致を保つことが勧められ、今回の箇所(7-11節)では、からだ(教会)に多様な賜物が与えられたことが、旧約聖書を引用しながら説明されています。そして、その中の五つの賜物(職務)が具体的に挙げられています。その職務が与えられた目的や、からだ(教会)が何を目指すべきかは、次の箇所(12-16節)で説明されています。
パウロは、「からだ」の比喩を用いて教会を説明していますが、そのことは、キリスト者一人ひとりが、その「からだの一部分」(4:25)、「からだの部分」(5:30)であることを意味しています。「手」や「足」だけでは、からだとは言わないように、「からだの部分」は、その他の部分と切り離されて存在するものではないことがわかります。
パウロは、「一致」について語った後、その一致とは、皆が同一になることではないことを示すために、「一人ひとり」に、「キリストの賜物の量りに従って恵み」が与えられていることを述べています。つまり、一人ひとりに、多様な賜物が与えられているということです。私には賜物は与えられていないという人がいるかもしれませんが、聖書は「一人ひとり」(Ⅰコリント12:11)、「それぞれ」(Ⅰペテロ4:10)に与えられていることを強調しています。パウロは、他の手紙では「賜物(カリスマ)」(ローマ12:6,Ⅰコリント12:11)ということばを用いていますが、ここでは「恵み(カリス)」ということばを用いています。
8節では、7節の内容を裏付けるために、旧約聖書の詩篇68篇18節を引用しています。旧約聖書本文とパウロの引用との間には若干の違いがあるものの、パウロは、昇天(高挙)されたキリストが、それぞれに賜物を与えられたことに適用しています。9節では、「上った」お方であるキリストが、それ以前に「地上に降られた」方であることを示しています。つまり、キリストの受肉(おそらく十字架の死も含む)のことです(参 ピリピ2:5-9)。そして10節では、キリストが最高の栄誉と栄光の座に着かれたことは、「すべてのものを満たすため」、つまり、すべてをその支配と臨在のうちに満たし、主権をもって賜物を与えるためであったことを示しています(参 1:20-21)。
パウロは、上られた方であるキリストが教会に与えられた五つの賜物(職務)を紹介しています。
- 五つの賜物についての説明は省略 –
「一人ひとり」にキリストから賜物が与えられていると聞いても、自分には賜物が与えられているように思えない、また、自分の賜物がよく分からないという人がいるかもしれません。ある人は、自分の賜物を特定することに関心を払いすぎないように注意しています(Snodgrass)。御霊が教会全体の益のために(参 Ⅰコリント12:7)あなたを何らかのかたちで用いられるとき、あなた自身が教会への「賜物」となると考えてはどうでしょうか。大切なのは、自分にどんな能力があるかを探すことではなく、自分自身が「賜物」となることです。たとえば、あなたが教会のために祈るとき、あなた自身が教会への「賜物」となるということです。今あなたが置かれた状況の中で、あなた自身が教会への「賜物」となるために、どんなことができるだろうか、とまず祈り始めてはどうでしょうか。
このメッセージは2026.5.3のものです。


