からだ(教会)の一致 エペソ4章1-6節

 4章1-3節ではからだ(教会)の一致を保つことが勧められ、4-6節ではその一致の神学的根拠が示されています。

 パウロは4章1節で自らを「主にある囚人」(参 3:1)と呼んで、「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」と勧告しています。「召し」とは、神が救いへと招いてくださったことを意味し、「歩みなさい」とは、パウロが「生きる」「生活する」という意味で頻繁に用いている比喩です。「ふさわしく」とは、釣り合いのとれた、また一致したという意味です。たとえば、「報酬にふさわしい仕事」と言った場合、「報酬」と「仕事」の釣り合いがとれていることを意味します。パウロはここで、エペソのキリスト者たちに、神のすばらしい救いの恵みにあずかっていることを思い起こさせ、その恵みと釣り合いのとれた生き方をするように望んでいるのです。

 さて、からだの一致を保つために大切なことは何でしょうか。一つ目は「謙遜」です。自分を低くすること、へりくだること、つまり「高慢」とは反対の性質です(Ⅰペテロ5:5-6)。パウロは、エペソの長老たちに対する自らの関わり方にもこの言葉を用いています(使徒20:19)。謙遜の際立つ模範は、主ご自身に見ることができるでしょう(ピリピ2:3-8)。

 二つ目は「柔和」です。「御霊の実」の一つであり(ガラテヤ5:23)、優しく穏やかな性質です。この性質も主イエスに見られるものです(マタイ11:29、Ⅱコリント10:1)パウロは、罪を犯した人との関わりにおいて「柔和」が大切であることを示しています(ガラテヤ6:1)。

 三つ目は「寛容」です。これも「御霊の実」の一つであり(ガラテヤ5:22)、短気の反対の性質です。「寛容」は罪人に対する神のお取り扱いに見られる性質であり(ローマ2:4、9:22、Ⅰテモテ1:16)、パウロはこの「寛容」を勧めています(Ⅰテサロニケ5:14)。

 四つ目は「耐え忍ぶこと」です。この動詞は、他の箇所では「我慢する」と訳されています(参 マタイ17:17、Ⅱコリント11:1,4,19など)。

 五つ目は「愛」です。2節の文脈では文法的には「互いに耐え忍び」にかかっていますが、意味的には先の四つの徳を包み込むものと言ってよいでしょう。「愛」もまた「御霊の実」であり(ガラテヤ5:22)、パウロは他の手紙の中で「愛は結びの帯として完全です」(コロサイ3:14)と言っています。それは「一致」にとって不可欠なものです。

 パウロは3節で、「平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」と勧めています。ここでパウロは、人間的な力や知恵によって「一致」を作るのではなく、御霊がすでに与えてくださっている一致を「保つ」ようにと勧めています。

 パウロは2章14節で「キリストこそ私たちの平和です」と宣言し、そのあとキリストを通して異邦人とユダヤ人の平和、そして神との平和がもたらされたことを語りました。異邦人とユダヤ人が、すでにキリストにあって「一つのからだ」(2:16)となっているという本質的な一致は、損なわれることのないものです。しかし、その一致が人間関係の中で見えなくなることはあり得ます。だからこそパウロは、その一致を兄弟姉妹という関係の中で、見える形で表し続けることを勧めているのです。 

     ー 一致の根拠(4-6節)は省略 ー


             このメッセージは2026.3.26のものです。