パウロのとりなしの祈り エペソ3章14-21節



 パウロが手紙の読者たちのために祈るのは2回目になりますが(参 1:17-19)、今回の箇所は三つに分けることができます。14-15節は祈りの導入(祈る対象と姿勢)、16-19節は祈りの内容(三つの願い)、20-21節は頌栄です。 - 「祈りの導入」については省略 -

 パウロはどのような内容を祈っているのでしょうか。一つ目の祈りは、「内なる人」が御霊によって強められるようにという願いです(16節)。「内なる人」とは、キリストを信じることによって新しくされた人の内側であり(参 Ⅱコリント5:17、ガラテヤ6:15)、17節の「心」と同義に理解してよいでしょう。「心」は人格の中心であり、罪との戦いに直面している存在です。そして、加齢とともに衰えていく「外なる人」とは対照的に、日々新しくされることを必要としています(参 ローマ7:22、Ⅱコリント4:16)。

 では、なぜパウロは聖霊によって強められることを求めているのでしょうか(参 コロサイ1:11)。それは私たちが「肉」(罪深い性質)や「この世」、また「悪魔」の影響力にさらされているからです(参 2:1-3、6:10-)。さまざまな誘惑に打ち勝ち、困難を乗り越えていくために、私たちは力を必要としているのです。

 17節の「あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように」は、この第一の祈りを別の側面から説明するものです。キリストはすでに御霊によって信じる者のうちにおられるにもかかわらず、なぜ改めてこのように祈るのでしょうか。ここで用いられている「住む(カトイケオー)」というギリシア語は、「居を定める」「定住する」という意味を持つことばです。パウロの願いをたとえるなら、心という家において、キリストを単なる客として迎えるのではなく、主人としてすべての部屋を自由に支配していただく、ということになるでしょう。

 二つ目の祈りは、「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように」(19節)という願いです。17節の「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがた」とは、第一の祈りの結果を表しています(共同訳「愛に根ざし、愛に基づく者となることによって」)。ここでパウロは、植物と建築の比喩を用いて、愛が信者の成長の土壌であり、また土台であることを示し、この第二の祈りへとつなげています。

 18節の「広さ、長さ、高さ、深さ」には目的語が明示されていないため、さまざまな解釈がありますが、文脈から見て「キリストの愛」を指していると理解してよいでしょう。

 パウロは、読者たちが「人知をはるかに超えたキリストの愛を知る」ことを願っています。この表現は一見矛盾しているようにも思えますが、知り尽くすことのできないほど無限のキリストの愛を、なお深く知り続けてほしいという願いが込められているのです。

 ここでパウロは、キリストを愛することができるようにではなく、キリストの愛を知ることができるようにと祈っています。それは、深く愛されていることを知らなければ、キリストを愛することも、また他者を愛することもできないからです(参 Ⅰヨハネ3:16)。愛されていることを知らない多くの若者たちが、自らの人生を破滅へと向かわせている現実を見るとき、これは何と痛ましいことでしょうか。 - 以下省略 –


            このメッセージは2026.4.19のものです。