恵みによる務め エペソ3章1-13節
パウロは、かつては神と神の民から疎外されていた異邦人キリスト者が、今ではユダヤ人と同じ神の民となり、神に近づくことができるようになったことを受けて(2:18)、「こういうわけで」(1節)と語り始めます。しかし、この文は途中で中断され、14節でもう一度「こういうわけで」と、とりなしの祈りが始まっています。したがって、2~13節はその祈りに先立つ挿入的な説明と考えてよいでしょう。
パウロはこの挿入を通して、自分が神から託された「異邦人の使徒」(参 使徒22:21、ガラテヤ2:8)としての務めを、この手紙の読者である異邦人たちに理解させ、彼らとの結びつきを強めたいと願っているのです。
パウロは、異邦人宣教の働きの過程の中で、この時ローマで囚人となっていました(参 6:20)。それで、1節では「あなたがた異邦人のために、キリスト・イエスの囚人となっています」と述べ、13節では「あなたがたのために苦難にあっている」と語っています。パウロは人間的にはカエサル(皇帝)の囚人でしたが、キリストに捕らえられた者として、「キリストのしもべ」という意味で、自らを「キリスト・イエスの囚人」と考えているのでしょう。
パウロは、自らが「使徒」(1:1)であることについて、「私に与えられた神の恵みの務め」(2節)、「私に与えられた神の恵みの賜物」(7節)と呼んでいます(参 コロサイ1:25-26)。「恵み」ということばは8節にも出てきますが、受けるに値しない者が受ける神の好意(あわれみ)を意味します。かつて教会を激しく迫害していた自分が(使徒8:3、Ⅰテモテ1:15、ガラテヤ1:13)、神の尊い務めにふさわしくない者であることを強く意識していたのです。そのことは、「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」という言葉に表れています(参 Ⅰコリント15:9)。だからこそ、神から与えられた務めは、一方的な「神の恵み」以外の何ものでもないと、パウロは自覚していたのです。
パウロは、神から与えられた務めの内容として二つの点を挙げています。一つは、奥義が啓示されたということ(3節)、もう一つは、その奥義を伝える使命を委ねられたということです(8節)。
パウロは「奥義」という言葉をすでに1章9節で用いていましたが、ここでの奥義の内容は6節で説明されています。それは、福音を聞いて信じた異邦人が、キリストと結び合わされ、ユダヤ人とともに祝福の相続人となり、ともに同じからだの一部となり、ともに同じ約束にあずかる者となる、という真理です。
さらにパウロは、自分に委ねられた務めの目的について、8節以降で説明しています。その第一は、福音がもたらす「キリストの測り知れない富」を宣べ伝えるためであるということです(8節)。この「キリストの測り知れない富」とは、1章・2章で語られてきた霊的祝福(1:3-14)や、霊的に死んでいた者がキリストとともに生かされ、ともに天上に座らされていること(2:5-6)、さらに神との和解だけでなくユダヤ人との和解も与えられ(2:14-16)、一つの神の家族とされていること(2:19)などを指すと考えることができるでしょう。
– 9節以降の解説と適用については、省略 –
このメッセージは2026.4.12のものです。


