キリストがもたらす平和 エペソ2章11-22節
パウロは、12節でイスラエルの民の視点から、回心前の異邦人キリスト者たちの不利な点を五つ挙げています(参 ローマ9:4-5)。一つ目は「キリストから離れ」です。かつての異邦人たちは「メシア」の存在さえも知らなかったでしょう。二つ目と三つ目は「イスラエルの民から除外され」と「約束の契約については他国人」です。神はご自身の選びの民であるイスラエルと契約を結ばれ、その約束を実現しようとしておられました。かつての異邦人たちはその神の民から疎外されていたのです。四つ目と五つ目は「この世にあって望みもなく」と「神もない者たち」です。かつて異邦人たちは真の神を知らず、そのお方によってもたらされる希望も知らなかったということです。
パウロは、13節で「しかし」という言葉をもって、「かつては遠く離れていた」彼らが「今では」「近い者となりました」と述べています。その劇的な変化をもたらしたのは、「キリストの血によって」、すなわちキリストの犠牲の死によってです。罪のゆえに御怒りを受けるにふさわしい者たちのために、キリストは身代わりとなって罪の刑罰を受けてくださったのです。
パウロは14節で「キリストこそ私たちの平和です」と宣言し、キリストの御業(14節「ご自分の肉において」、16節「十字架によって」)によって、二つの敵意が取り除かれたことを明らかにしています。一つはユダヤ人と異邦人との間にあった敵意であり、もう一つは人間と神との間にあった敵意です(参 コロサイ1:21-22、ローマ5:1)。
14–16節、18節の「二つのもの」とは、ユダヤ人と異邦人という二つの集団のことです。両者の間には「隔ての壁」がありました。この「隔ての壁」とは両者の間にあった敵意のことですが、パウロはエルサレム神殿にあった、ユダヤ人の庭と異邦人の庭の間を隔てていた「ソレグ」と呼ばれる障壁を念頭に置いていたのではないかと考える人もいます。可能性はあるでしょう。
15節の「律法を廃棄されました」(共同訳「無効とされました」)とは、どのような意味でしょうか。それは、ユダヤ人と異邦人の障壁のもととなっていた律法の規定(割礼や食物規定、きよめの儀式など)を無効にされたという意味でしょう。また、ユダヤ人たちが救いの手段として考えていた律法の行いを無効にされたという意味も含まれているかもしれません。
パウロは、ユダヤ人と異邦人との敵意が取り除かれ、「キリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて」(15節)と述べています。「新しい一人の人」とは、ユダヤ人と異邦人からなる新しい共同体、すなわち教会のことです。16節では「一つのからだ」と言い換えられています。そしてそのからだを、キリストは「十字架によって神と和解させた」としています。18節では、ユダヤ人と異邦人が「一つの御霊によって」神に近づくことができるようになっていることが述べられています。
– 19-22節、新しい共同体(教会)を三つの比喩(国の民、神の家族、神の神殿)を用いて説明していることについては省略 –
このメッセージは2026.3.29のものです。


