エペソ人への手紙 エペソ1章1-2節
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パウロの手紙の書き出しを見ると(1-2節)、彼の他の手紙と同様に、基本的には当時の手紙の形式に沿っていることがわかります(差出人、受取人、挨拶の順)。
まず、差出人のパウロは、自らを「使徒(アポストロス)」と名乗っています。その意味は「遣わされた者」という意味です。権威を与えられキリストによって「遣わされた者」だということです。「神のみこころによる」とは、自分の使徒職は、自分の思いや願い、また誰かの推薦によるものではなく、神によるものだということです(参 ガラテヤ1:1,使徒9:15)。
次に、受取人につては、一つ目に「聖徒たち」と呼んでいます。「聖徒たち(ハギオス)」とは、パウロがよく用いている表現で、特別なエリートキリスト者のことではなく、神のために取り分けられた(聖別された)者たちという意味で、すべてのキリスト者を指します。二つ目に「忠実な(ピストス)」(者たち)と呼んでいます。「ピストス」は、共同訳のように「信ずる」(者たち)とも訳すことが可能です。どちらに訳すかは解釈が分かれますが、「忠実な」と訳すと、パウロは「忠実な者たち」と「忠実ではない者たち」とを区別していると読み込んでしまうかもしれません。個人的には新改訳2017と共同訳の両方の意味を込めて「信頼する」(者たち)と訳したらいいのではと思います。最後の「キリストにある」は、それに類することばも含めると『エペソ人への手紙』では36回も出てくる語です。ぶどうの枝がその木に連なりいのちを共有しているように(参 ヨハネ15:5)、キリスト者もキリストと結び合わされています。「キリストにある(in Christ)」とは、キリスト者のアィデンティティを表わす重要なことばです。パウロは手紙の後半(4-6章)で、キリスト者のアイデンティティにふさわしい生活とは何かを、「歩む」(4:1,17,5:2,8,15)という比喩を用いて展開しています。
2節の挨拶には、パウロは「恵み(カリス)」と「平安(エイレーネー)」の二つの語を用いています。パウロは当時の一般的な挨拶のギリシア語の「カイレイン」を用いず(参 使徒15:23「あいさつを送ります」)、発音が似ている「カリス(恵み)」を用いています。恵みとは、受けるに値しない者が受ける神のあわれみ(好意)のことです。それは救いをはじめとして(2:5,8)、キリスト者生活全般に不可欠なものです(参 Ⅱコリント12:9,Ⅱテモテ2:1)。その恵みから生じるのが、もう一つの「平安」です。へブル的挨拶「シャローム」のギリシア語訳です。神との平和をはじめとして(ローマ5:1)、隣人との平和も私たちのキリスト者の生活にとって、とても大切なものです(参 4:3,ガラテヤ5:22)。
パウロは十三通の手紙の冒頭のすべてに「平和」と「恵み」の二つの語を用いています(テモテへの手紙一、二には「あわれみ」も加えられている)。彼は単なる形式的なことばとしてこれらを用いているのではありません。それは、時代が変わっても、キリスト者の生活に何が不可欠であるかを示す「キリスト・イエスの使徒」の洞察から出てきたことばなのです。
このメッセージは、2026.2.22のものです。

