創造(3) 女 – ふさわしい助け手 創世記2章2-25節


 創世記1章27節には「神は・・・男と女に彼らを創造された」とあり、2章18節以降には、女の創造について詳述されています。

 神は「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」と言われ、「女」のことを「ふさわしい助け手」と呼んでいます(18節)。これはどのような意味でしょうか。

 まず「助け手(エーゼル)」ということばには、劣っているという含みはありません。この語は、ご自分の民を助ける神によく用いられていることばです(詩20:2、121:1-2、124:8 など)。したがって、「助け手」とは補助的で二次的な存在を意味するのではなく、必要不可欠な支えを与える存在を指します。むしろこの語は、人が一人では完全ではない存在であることを示しています。神が最初の人のために造られた女は、単なるヘルパーやアシスタントではなく、不可欠な存在なのです。

 次に「ふさわしい(ケネグドー )」とは、「彼に向き合うような」「彼に対応する」という意味を持ちます。つまり、同じ本質を共有しながらも、彼に対して向き合い、応答し、支え合う存在ということです。したがって「ふさわしい助け手」とは、対等でありながらお互いを補完し合うパートナーと説明したらいいでしょうか。

 21-22節には、神がアダムから最初の女をどのようにして造られたのかが描写されています。「あばら骨(ツェラー)」と訳されていることばは、「脇」や「脇腹」と訳したほうがいいかもしれません。これは、女が男の一部から造られたことを示し、両者の深い結びつきを象徴しています。

 23節の「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉」は、アダムの最初のことばであり、歓喜の叫びです。「ついに」には待望の思いが込められています。また「私の骨からの骨、私の肉からの肉」には、女との対等性や一体性が強調されています。「これを女(イッシャー)と名づけよう。男(イーシュ)から取られたのだから。」ということばにはヘブル語の語呂合わせが用いられ、両者の密接な関係が示されています。

 24節は、アダムのことばの続きではなく、創世記の記者の解説です。主イエス(マタイ19:5,マルコ10:6-8)やパウロ(エペソ5:31、Ⅰコリント6:16)がこの言葉を引用して、結婚について語っています。さて、神が意図された結婚とはどのようなものでしょうか。

 第一に、結婚は人が考案したものではなく、神が創造の秩序のうちに定められたものです。第二に、結婚は一人の男と一人の女による一夫一婦制の関係です。第三は、結婚は親から独立した家庭を築くということです。「父と母を離れ」とは、結婚によって優先順位が親からパートナーへと移ることを意味します。また、「結ばれ、ふたりは一体(直訳『ひとつの肉』)となる」とは、性的結合を含む深い親密さを通して、支え合い、人生を共有していくことを意味します。第四に、結婚は生涯続く絆です(参 マタイ19:6)。第五に、結婚は神の御前における契約です(参 マラキ2:13-14)。

 人の堕落は、さまざまな関係を破壊してしまいました。夫婦関係も例外ではありません。生育歴も個性も異なり、かつ利己的な二人が一つ屋根の下に暮らしはじめるなら、さまざまな問題が生れます。しかし、福音を通して神に立ち返り、神に信頼し続けていくなら、関係回復の希望は常にあります。パートナーを思いどおりに変えようとするのではなく、まず謙遜になって自らを神に変えていただきましょう。

 このメッセージは、2026.2.15のものです。なお、創世記1-11章の講解(計11回のメッセージ)のさらに詳しい要約は、長野聖書バプテスト教会説教集『創造と堕落の後』 ”Creation and the Fall”(B5版、43頁)にまとめられています。