罪の結果 創世記3章14-24節



 アダムとエバが禁断の木から食べた結果を見ていきましょう。14-24節は二つに分けることができます。14-19節には、蛇(悪魔)、女(エバ)、人(アダム)の順に神のさばきが宣告されています。20-24節は、アダムとエバのエデンの園からの追放です。

 まず、さばきは「蛇」に向けられ、それと同時に、その背後で蛇を用いて誘惑した悪魔に向けられています。神はさばきの前にその理由を述べています。「このようなことをしたので」(14節)とは、エバを誘惑したことです。「~よりも、・・・よりものろわれる」とは、1節の「ほかのどれよりも」に対応しています。そして、「腹這いで動き回り、・・・ちりを食べる」とは敗北(イザヤ25:12,ミカ7:17)や屈辱(詩篇44:25,72:9)を象徴しています。

 さばきは「悪魔」へと焦点が移り、悪魔と女との間に敵意が続くこと、そして最終的には「女の子孫」であるメシアが傷を受けながらも悪魔に致命傷を負わせて勝利することが予告されています(参 ヘブル2:15,ローマ16:20)。15節は伝統的に聖書における最初のメシア預言と考えられ、「原福音」と呼ばれています。「女から生まれた者」(ガラテヤ4:4)であるメシアが、堕落した人類に救いの道を備えられるのです。

 次の「女」に対するさばきには、一つは出産における苦しみが増すことが告げられています。後で見る「人」に対する「労働」にも共通していますが、「出産」や「労働」そのものがさばきやのろいの一部なのではありません。本来神が祝福として与えられたものですが、そこに苦しみが伴うようになったのです。もう一つは夫婦の間に主導権をめぐる葛藤が生まれるということです。本来神が意図された、夫に対する妻の「従順」や、妻に対する夫の「愛」の関係が罪によって損なわれてしまうということです。しかし、その損なわれた関係は神とともに歩む夫婦によって取り戻されていくことを新約聖書は示しています(参 エペソ5:22-33、Ⅰペテロ3:1-7)。

 最後の「人」へのさばきには、蛇と同様に理由が示されています。神にではなく、「妻の声に聞き従」ったことが指摘され、夫に委ねられていたリーダーシップの責任が問われています。人は直接「のろわれて」はいませんが、大地から糧を得なければならない人にとって、「土地」へののろいは、労働が苦しいものとなることを意味します。「茨とあざみ」の言及は、土地の生産性を妨げるものであり、さばきを象徴しているでしょう。労働は堕落前から存在していましたから(2:15)、「労働」そのものがさばきなのではありません。しかし、今日の複雑で厳しい労働環境(過労死、長時間労働、パワハラなど)を見ると、そのように感じてしまうのも無理のないことかもしれません。

 人へのさばきのもう一つは「死」です。人が「土のちり」(19節、2:7)から取られ、「土のちりに帰る」のは自然なことのように思われるかもしれませんが、「死」は罪に対するさばきです(ローマ5:12)。アダムから生まれる人類は、神との交わりを持たない状態で誕生し(霊的死:エペソ2:1)、やがては肉体的にも死ぬべき者となったのです。

 [神との関係が失われたことによって、今を生きる私たちにどのような結果をもたらすことになったのかについては省略]


      このメッセージは2025.11.30のものです。