兄との再会の備え 創世記32章1-32節
ヤコブは一つの危機から脱したあと、もう一つの危機に直面しなければなりませんでした。兄エサウとの問題です。32章には兄との再会の備えが、33章には兄との和解の場面が描写されています。
32章は3つに分けることができます。1-2節は、「神の御使いたち」との出会い、3-23節は、兄エサウとの再会のための備え、24-32節は、御使い(神)との格闘、「ペヌエル」の体験です。- 32章の詳しい説明は、説教集で確認してください。-
私たちは、この32章を通してどのようなメッセージを見出すことができるしょうか。
第一に、ヤコブは祝福を神の恵みとして受け止めているということです。ヤコブは祈りの中で(9-12節)、「一本の杖」から「二つの宿営」を持つに至った神の恵みを回顧しています。そして、それを「受けるに値しない者です」(10節)と告白しています。ヤコブは、神が与えてくださった家族や財産を神の恵みとして受け止めているのです(参 33:5,11)。私たちは何も持たずにこの世に誕生してきましたが(Ⅰテモテ6:7)、今や多くのものを所有するようになっています。それらは正当な労働の対価として得たものであったとしても、神の恵みによってもたらされたものであることを忘れてはならないのです。
第二に、兄との再会に備えるヤコブから、彼の信仰の成長過程の現実を見ることができるということです。ヤコブは兄との再会に恐れと不安を覚えて、いくつかの対策をとっています。一つは、最悪の事態に備えて宿営を二つに分けています(7節)。もう一つは祈りです。もう一つは「贈り物」によって兄の怒りをなだめて受け入れてもらおうとしています(20節)。ヤコブは神に信頼し祈りつつも、人間的な知恵や力で自らを救い出そうともしているのです。ヤコブの姿は、私たちの信仰の成長過程の現実をリアルに示しているとも言えるのではないでしょうか。
第三は、ペヌエルの体験はヤコブの信仰にとって大きな転換点であるということです。ヤコブのベテルの体験(28章)を自覚的な信仰の歩みのスタートととらえるなら、今回のペヌエルの体験は、新しい名前を与えられたことからも分かるように、ヤコブの人生にとって大きな転機となったということです。ヤコブは「勝った」(28節)と言われています。しかし、正確には神が彼に勝利をお与えくださったと言った方がよいのではないでしょうか。股関節が外れるような中で、ヤコブは祝福を求め続け、ついにその祝福を得ることができたのは神の恵みだったのです。
神は、私たちの弱さの中でもご自身の力をあらわすことができるお方です(参 Ⅱコリント12:7-10)。新約聖書のヤコブの手紙では、「自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです」(ヤコブ4:2)とあります。私たちの真の必要を満たすことができるお方に対して、諦めず粘り強く求め続けていきましょう(参 マタイ7:7)。
このメッセージ2025.7.20のものです。


