ラバンとの対峙 創世記31章17-55節


 今回の箇所は、イスラエル民族の「出エジプト」になぞらえて、ヤコブ家族の「出パダン・アラム」と言えるのではないでしょうか。そして四つ(17-21節「脱出」、22-25節「追跡」、26-42節「対決」、43-55節「解放」)に分けることができるでしょう。 

 ヤコブは、自分の家族、そしてパダン・アラムで得た「すべての財産」(18節)を持って「脱出」します。それを実行に移したのは、伯父ラバンが「羊の毛を刈りに出てい」て不在の時でした(19節)。ラバンはヤコブが逃走したことを知ると、「自分の身内の者たちを率いて」(23節)追跡し、ついにヤコブたちが天幕を張る「ギルアデの山地」へとやってきました。

 ヤコブはラバンと対決することになりますが、ラバンの告発は二つの点でした。一つは、娘たちとの別れの機会も与えずに、密かに去ったことです(26-28節)。しかし、ラバンはこの点については、追跡中に神が夢の中で、ヤコブに害を加えることがないようにと警告されていたので(23,29節)、強く訴える事はしませんでした。しかし、もう一つの「テラフィム」(19節、30節では、ラバンは「私の神々」と呼んでいる)を盗んだことについては強く出ています。ヤコブは、最愛のラケルがそれを盗んだことを知らなかったので(19節)、誰かがそれを盗んだのであれば「その者を生かしておきません」と強く主張し、疑うなら調べるようにと求めました(32節)。ラバンはヤコブたちの天幕を一つ一つ調べましたが、テラフィムを見つけることはできませんでした(33,34,35節)。

 ヤコブは、潔白を疑われて強く怒り、20年間押さえていた伯父に対する感情を爆発させています(38-41節)。自分が忠実に懸命に仕えたにもかかわらず、いかに不当な扱いをしたかを訴えています。

 ラバンはヤコブの訴えに反論できずに、契約を結ぶことを提案しています(44節)。契約の証拠とするために「石の柱」と「石塚」が置かれました(45,46節)。契約は単なるラバンとヤコブとの個人的なものではなく、ヤコブ一族とラバン一族との間のものであったので、アラム語とヘブル語で、それぞれ命名されています。契約の証拠である記念碑には二つの目的がありました。一つは、ヤコブが娶った妻たちの保護を神を証人として誓約するものであり(50節)、もう一つは、それらを超えてお互いに害を及ぼさない境界線とするということです(52節)。ラバンとヤコブはそれぞれの神の前に誓約し(53節)、契約は締結され、ラバンはヤコブのもとから去って行きました(55節)。こうして、ヤコブは長年に渡る伯父の支配から、ついに解放されることになったのです。

 ヤコブの「出パダン・アラム」からどのようなことを見出すことができるでしょう。第一は、神の守りです。その一つは神のラバンへの警告に見ることができます(24,29節)。ラバンがヤコブの逃走を知ったとき、相当怒っていたはずです。もし神の警告がなかったなら、ヤコブに害を加え、ヤコブが言っているように、ヤコブからすべてのものを奪い去り、彼一人だけを去らせていたかもしれません(42節)。

 もう一つは、ラケルが盗んだテラフィムが見つからなかったことです。もし見つかっていたなら、ヤコブは最愛の妻ラケルを伴って戻ることはできなかったでしょう。神は盗みを肯定しているわけではありませんが、ヤコブに対するご自身の約束の真実のゆえに(28:15)、テラフィムがラバンによって見つかることがないようにされたのです。ヤコブたちが守られたのは、ヤコブたちが全く正しかったからではありません。神が約束に対して真実なお方だからなのです。

          このメッセージは2025.7.13のものです。