名まえに込められた妻たちの思い 創世記29章30節-30章24節
親が子どもにつける名まえには、親のいろいろな願いや思いがこめられていることでしょう。今回の箇所には、ヤコブから十一人の男の子と一人の女の子(30:21「ディナ」)が誕生したことが記されています。女の子だけには名前を説明する言葉がありませんが、他の十一人の男の子たちには名前の説明があります。まず、レアとラケルのどのような願いや思いが子どもたちの名まえに込められているのかを見ていきましょう(この説明については「説教集」を見てください)。
このヤコブの子どもたちの誕生から、私たちはどのようなことを読み取ることができるでしょうか。
第一に、神のあわれみと神のご計画の実現を見ることができるということです。神は夫に愛されないレアの苦しみを「ご覧になっ」て、「聞いて」(30:32,33)、結果的に彼女に六人の男の子を与えられました。その中には、イスラエルの民の中で、祭司の家系となる「レビ」(29:34)がいます。また、ダビデ王の家系となる「ユダ」(29:35)がいて、そのユダの子孫からメシアが誕生することになります(参 マタイ1:1)。ヤコブが愛するラケルにではなかったことは、神の大きなあわれみを示しています。
ヤコブの家庭を見る時に、そこには妻たちの間に醜い対立や争いがありました。もしラバンがヤコブを欺くことがなければ、こんな酷い状態にはならなかったのかもしれません。しかし、それぞれの人間が抱える罪の現実を通して、神は子孫の繁栄の約束を実現し、ヤコブからイスラエルの十二部族を誕生させられるのです。神の御業は私たちの思いを超えています。
第二に、ねたみに正しく対処しなければ、関係を引き裂いてしまうということです。ヤコブの二人の妻レアとラケルの間には激しいねたみがありました。二人はそれぞれ相手が持っているものを渇望し、自分に与えられている恵みから目を離してしまいました。
ねたみは誰の心の中にもたやすく入り込んでくるものです。聖書の中にはねたみに満ちた人々が登場します(ヨセフの兄弟たち、サウル王、主イエスを死へ追いやったユダヤ人たちなど)。ねたみは生まれながらの性質であり、肉の思いです(Ⅰコリント3:3、ガラテヤ5:21)。ねたみは誰かの成功や幸福を心から祝福することができず、我慢できません。ねたみは満ち足りた思いから遠く離れた感情であり、人をつぶやきや不満で満たします。ねたみに対処するためには、神が与えてくださっている恵みにしっかりと目を注ぐ必要があります。
第三に、私たちは自己価値をどこに見出そうとしているか、ということです。レアは夫から承認や愛情を得たいと願い、一方不妊のラケルは、子どもが欲しいと願っています。彼女らがそれを必死に求めているのは、それが自己価値と強く結びついているからでもあります。人からの愛情や承認を求めて、そこに自己価値を見出そうとするなら、必ず失望することになるでしょう。なぜなら、真の自己価値は神との関係で得られるものだからです。私たちは本当の変わらない愛や承認をどこに見出そうとしているでしょうか。私たちを愛してご自身の御子をささげてくださった方から見出しましょう。
このメッセージは、2025.6.29のものです。


