リディア 使徒16章11-15節
パウロとシラスは第二回伝道旅行へと出発し(使徒15:40)、途中のリステラではテモテを同行させ(16:1-3)、トロアスからエーゲ海を渡り、マケドニアのネアポリスに上陸し(16:11)、そこから16キロのピリピの町へとやってきました。ピリピの町は、ローマの「植民都市」であり、ローマと同様の法的地位が与えられた、いわば「小さなローマ」のような町でした。パウロは通常、ユダヤ人の「会堂」(シナゴク)を拠点にして宣教を始めていますが、この町には「会堂」がなかったようで、「祈り場があると思われた川岸に行き」、そこに集まっていた女性たちに福音を伝えることにしました。その中の一人が、「リディア」でした。
「リディア」は、アジア州のティアティラ市の出身の女性でした。ティアティラ市は紫の染料と織物の産地として有名であり、その「紫布の商人」でした。紫布は高価なものであり、のちに彼女がパウロたちを家に招いてもてなしているところから(15,40節)、裕福な女性だったと思われます。安息日に集まり礼拝をささげていた「神を敬う人」でした。彼女とその家族は、パウロの語る福音を受け入れて信仰に導かれることになりますが(15節)、このリディアの回心から、どのようなことを読み取ることができるでしょうか。
第一に、リディアはパウロのヨーロッパ宣教の最初の霊的な実であり、神によって備えられていた女性であったということです。パウロは当初からマケドニア宣教を考えていたわけではありません。計画の変更を二度余儀なくされたところでトロアスに至り(6-8節)、そこでマケドニア人の幻の叫びを聞き、神がマケドニアに導いておられることを確信して、ピリピにやってきたのです。その結果、神によって備えられていた実であったのです。神は、自分の計画に固執せず神の導きに信頼し従う者に、恵みを備えてくださるのです。
第二に、リディアの回心は神の恵みであるということです。なぜなら、主はパウロの語った福音を用いて、彼女がそのことばを受け入れることができるように心を開き、応答することができるようにしてくださったからです。ある神学者は、信仰には「知識」「同意」「信頼」の要素があると言っています。だれも知らないことを信じることはできませんから、何かを信じるためには「知識」が必要です。次に「同意」が来るのは、知ったからといって、その内容に皆が「本当にそれは真実だ」と「同意」するわけではないからです。三つ目の「信頼」とは、その内容を自分に当てはめ信頼することです。
十字架の福音は、人間的には愚かに見えるかもしれません。しかし、神はその福音を信じる者を救おうとご計画されたのです(参 Ⅰコリント1:18-23)。リディアだけでなく、私たちも福音を信じることができたのは、私たちの心を開いてそれに応答できるようにしてくださった主の働きがあったからなのです(参 Ⅰコリント12:3,ヨハネ6:44,65)。
第三に、リディアの信仰はその証しを通しても確認することができるということです。その一つは、バプテスマです。バプテスマは、福音を信じた者が受けるように、主ご自身によって命じられている儀式です(参 マタイ28:19)。もう一つは、パウロたちへのもてなしに見ることができます。救いの喜びや感謝が、主に仕えている者を支援したいとの行動に表れているのです。
このメッセージは2025.5.11のものです。