神の御前に歩む夫婦 Ⅰペテロ3章1-7節
新約聖書には、家庭生活に関する教え(Household Codes)がいくつか記されています。以前は『コロサイ人への手紙』を取り上げましたが、今回は『ペテロの手紙第一』から見ていきましょう。
まず、妻に対して「夫に従いなさい」と命じられています(エペソ5:24、コロサイ3:18)。ここで「従いなさい」と命じられているのは、妻が夫より劣っているからではありません。神が定められた秩序の中で、家庭における夫のリーダーシップを尊重するようにと教えているのです。
また、この従順が絶対的なものではないことは、2節に出てくる「神を恐れる純粋な生き方」という表現からもわかります。夫が道徳に反することや偶像礼拝を強要する場合には、従うべきではないということです。
ペテロは、「たとえ、みことばに従わない夫であっても」と語ります。これは、夫が未信者である場合を想定しています。その夫が「神のものとされる」(直訳は「獲得される」)とは、信仰に導かれることを意味します。つまり、ペテロは、夫を信仰に導きたいと願う妻に対して、最も有効な証しは何かを語っているのです。それは、「無言のふるまい」です。
「無言」(直訳「ことばなし」)といっても、ペテロが言葉による証しを否定しているわけではありません。なぜなら誰も、知らないことを信じることはできないからです(参 ローマ10:14)。ペテロは、プライドの高い夫に対して、言葉で説得しようとするよりも、夫が「見る」ことのできる「神を恐れる純粋な生き方」(1節の「ふるまい」と2節の「生き方」は同じ語)こそ、より大きなインパクトを与えると語っているのです。
3–4節では、ペテロは外面的な装いよりも、内面的な美しさこそ神の御前に価値あるものだと教えています(参 1テモテ2:9–10)。2–4節の構文は、「~ではなく、むしろ」という対比構造になっており、否定しているのは外面的装いそのものではなく、それを誇示する姿勢です。三つの例(編んだ髪、金の飾り、衣服)からも、当時の富裕層の女性たちが富や美を誇っていた背景が想像されます。ペテロが強調したいのは、時代を超えて価値を持つ「柔和で穏やかな霊」(参「御霊の実」)であり、神が見ておられるのはうわべではなく、心のあり方であるという点なのです(参 1サムエル16:7)。
夫に対しては、「妻とともに暮らしなさい」と命じられています(7節)。性格も育った環境も異なる二人がともに生活を築くためには、理解と配慮が不可欠です。ペテロは、妻が「より弱い器」(比較級)であることを理解するよう求めています。ここでの「弱さ」とは、一般的には身体的あるいは社会的立場の弱さを指すと考えられます。男性による暴力(DV)は、この「弱い器」であることの理解の欠如を象徴しています。
続けて、「敬意を払いなさい(直訳)」と命じられており、その理由として「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」だからと説明されています。「いのちの恵み」とは、霊的救いのことを指し、「ともに受け継ぐ者」とは、救いの完成をともに待ち望む存在であるという意味です。神の前にあって夫婦は対等な存在であることが強調されていることがわかります。
ペテロは夫への勧告を、妻との関係が不適切であるならば、神との交わりさえも損なわれるという厳粛な警告によって締めくくっています。夫たちは、祈りなくして神が望んでおられる夫婦関係を築くことができないことを覚えましょう。
このメッセージは2025.5.4のものです。