パウロの同労者たち コロサイ4章7-18節



 7–18節は、手紙の結びにあたり、内容は四つに分けることができます。

 まず、7–9節では、獄中にいるパウロからコロサイへ派遣された二人の「愛する兄弟」、ティキコとオネシモが紹介されています。彼らの使命は、パウロの様子を「すべて」伝え(7,9節)、コロサイのキリスト者たち(教会)を励ますことでした(参 エペソ6:21–22)。

 次に、9–14節では、「あなたがたによろしくと言っています」(10,12,14節)という言葉が繰り返され、パウロの同労者たち六人の名前が登場します。特に注目すべきは、エパフラスの動静が語られている点です。

 続く15–17節には、近隣のキリスト者たちへの挨拶の依頼があります。ここでは「ニンパ」という女性の名前が挙げられています。また、16節では手紙を交互に読むことについての指示が、17節ではアルキポ(参 ピレモン2)に対する励ましが記されています。

 最後の18節には、パウロ自身による署名があり、彼の真筆であることを保証するとともに、自身のための祈りの要請、そしてコロサイのキリスト者たちに「恵み」があるようにとの祈りで、手紙が締めくくられます。

 さて、この結びからどのようなことを読み取ることができるでしょうか。

 第一に、パウロの働きは多くの同労者たちに支えられていたことです。この結びに多くの名前が記されていること自体、それを物語っています。パウロは獄中にあり、さまざまな制約の中にありました。それでもなお、大きな働きを成し遂げることができたのは、彼を支えた同労者たちの存在があったからにほかなりません。

 また、パウロ自身同労者たちを紹介する中で彼らを正当に評価していることが読み取れます(例:7節「忠実な奉仕者」、11節「慰めになりました」、12節「キリスト・イエスのしもべ」)。

 主と教会に仕える働きは、スタンドプレーではなくチームプレーにたとえることができるでしょう。すべての人が同じ働きを担うわけではありません。互いの弱さや欠けを補い合いながら、持続的な働きが可能となるのです。私たち一人一人が担うことは小さく見えるかもしれませんが、「主にある同労者」という意識を持つことが大切ではないでしょうか。

 第二に、パウロは、まだ見ぬ人々との関係を築こうとする思いを抱いていたことです。結びの挨拶は単なる形式的なものではありません。そこには、コロサイ教会を心から気遣うパウロとその同労者たちの祈りが込められています。この祈りは一方的なものではなく、コロサイのキリスト者たちの間にも、彼らの同労者たちのために祈る心が芽生えたことでしょう。

 第三に、パウロとエパフラスの目指すものは同じであったということです。12–13節では、コロサイ教会を開拓したと考えられるエパフラスが、パウロと共にどのような働きをしていたかが説明されています。ここにはパウロとのいくつかの共通点が浮かび上がります。

 一つ目は、教会への愛ゆえに、労苦を惜しまない姿勢です(1:24,4:13)。二つ目は、コロサイ教会のために熱心に祈り続けていたことです(1:9; 4:12)。三つ目は、教会が神の御心を確信し(1:9; 4:12)、「成熟した者」たちの群れとなることを目指していたことです(1:28; 4:12)。

 霊的に新しく生まれた者たちが成長し、「成熟した者」となることは、パウロやエパフラスだけではなく、すべての主に仕える者たちに共通する目標です。さて、私たちは果たして、教会のために労苦を惜しまない姿勢を持っているでしょうか。



 このメッセージは2025.4.27のものです。なお、「コロサイ人への手紙」(計15回のメッセージ)のさらに詳しい要約は、長野聖書バプテスト教会説教集『新しい人として生きる』(Living as the New Man)(B5版、49頁)にまとめられています。