家族の新しいあり方 コロサイ3章18-21節



 パウロは、新しい生き方が、神の家族(教会)の中でどのように実践されるかを語った後、今度は(3:18-4:1)、家庭においてどのように実践されるべきかについて語っています。そこには家庭における三つの関係が示されています。一つ目は夫婦関係、二つ目は親子関係、三つ目は主従関係(奴隷と主人)です。このような教えは、16世紀の宗教改革者マルティン・ルターが「家庭訓(Haustafel)」と呼んだことで知られています。同様の内容は、エペソ5:22-6:9、Ⅰペテロ3:1-7、Ⅰテモテ6:1-2にも記されています。

 では、早速夫婦関係から見ていきましょう。まず「妻」に対しては、「夫に従いなさい」と命じられています(参 エペソ5:22,Ⅰペテロ3:1)。神は家庭において夫にリーダーシップの責任を与え、その権威を妻が認めるように求めておられるのです。妻が従うのは、劣っているからではありません。

 「主にある者にふさわしく」とは、妻の従順のあり方(エペソ5:22「主に従うように」)とその範囲の限界を示しています。妻の従順の態度や従順の範囲がふさわしいかどうかを判断する基準は、「主」にあるということです。

 「夫たち」に対しては、「妻を従わせなさい」とは命じられておらず、「妻を愛しなさい」と命じられています。なぜ、妻には「従う」ことが、そして夫には「愛する」ことが命じられているのでしょうか。それは、おそらく両者にとって、そのことが一番苦手とする課題だからではないかと思います。夫に求められている愛の基準は「キリストが教会を愛」されたように(エペソ5:25)であり、「自分のからだのように」(エペソ5:28)です。「愛する」とはどういうことかを夫が知りたいなら、Ⅰコリント13章4-7節を読む必要があります。

 パウロは、妻を愛することについて「辛く当たってはいけません」と否定的な言い方で表現しています(19節 参 Ⅰペテロ3:7)。夫のリーダーシップは、高圧的でも利己的でもなく(参 創世記3:16)、愛に基づくものであるべきだということです。

 次に親子関係を見ていきましょう。「子どもたち」に対しては「すべてのことについて両親に従いなさい」と命じられています(20節)。そして、パウロは両親に従う理由として「主に喜ばれることなのです」(エペソ6:1では「正しいこと」)と説明しています。神は両親に子どもたちを適切なしつけと愛情をもって養育する権威を委ねられたので、両親に従うことは「主に喜ばれる」ことなのです。もちろん、その前提には、両親自身が主の教えに基づいて生活していることが期待されています。

 「父たち」に対しては「子どもたちを苛立たせてはいけません」(エペ6:4では「怒らせてはいけません」)と命じられています。パウロは、苛立たせる(怒らせる)原因については説明していませんが、(ある人は、「過度に厳しいしつけ、理不尽な要求、権威の乱用、気まぐれ、不公平、絶え間ない小言や非難、侮辱的な扱い、子どもの必要や感受性に対する無神経な行動」などをあげている)、その結果については「その子たちが意欲を失わないようにするためです」と述べています。不適切な育て方によって、子どもの心が深く傷つき、自分の人生を肯定的に受け止めることができなくなるとするなら、それは非常に痛ましいことです。

           このメッセージは2025.3.30のものです。