新しい人を着る コロサイ3章12-17節


 人は、自分が生まれ育つ環境や人間関係などによって、自分が何者であるか(アイデンティティ)を形成していきます。11節であげられている人々も、それぞれ異なるアイデンティティを持っていたでしょう。しかし、キリストを信じると、すべてのクリスチャンに共通する新しいアイデンティティが与えられます。そして、その人はアイデンティティと一致した生き方をしていくことになります。

 パウロは、コロサイのクリスチャンたちを「神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者」(12節)と呼んでいます。それらは、キリストを信じた者が恵みによって持つ立場であり、キリストにある新しいアイデンティです。そして、そのアイデンティティが私たちを古い生き方から新しい生き方へ導くことになるのです。

 パウロは、10節で「新しい人を着たのです」と言い、その新しい人にふさわしい五つの資質(徳)をあげて「着なさい」と命じています(12節 参 ローマ13:14)。それは8節であげられた古い人の五つのリストと正反対のものです。五つのうちの三つ(「親切」「柔和」「寛容」)は「御霊の実」(ガラテヤ5:22,23)にも出てきます。そのことは、新しい生き方は、自分の力で自分を変えていこうとするものではなく、御霊の働きによるものであることを示しています。

 13節の「互いに忍耐し合い、・・・互いに赦し合いなさい」という勧告は、12節の五つが具体的にどう実践されるのかを説明したものと言えるでしょう。クリスチャンが集まれば、すぐに理想的な交わりが誕生するわけではありません。いろいろな人が集まれば不満や対立が生まれてくるでしょう。パウロは、赦しについてはその基準として「主があなたがたを赦してくださったように」と述べています(参 2:13-14,エペソ4:32)。主イエスは、王から莫大な負債を赦された「家来」が、仲間を赦さなかったというたとえ話をされました(参 マタイ18:23-35)。赦しは大きな恵みです。パウロは、赦された者たちが、赦しの恵みをしっかり受け止めて、赦し合うことを勧めているのです。

 パウロは、忍耐し合い、赦し合うことを勧めた後、「これらすべての上に、愛を着けなさい」(14節)と勧めています。12節の五つの徳の上に「愛」を重ね着するというイメージよりも、「愛」は新しい人が身にまとうべき最高のものだと言っているのでしょう。パウロは、続けて「愛は結びの帯として完全です」と述べていますが、「結びの帯」と訳されたことばは、2章19節では「筋」(スンデスモス「結びつけるもの」)と訳されています。つまり、愛はすべての徳を一つに結びつけ、「完全(テレイオテース「成熟」とも訳される)」に至らせるものだと言っているのでしょう。



  15節でパウロは、「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい」と命じています。そして、平和が支配すべき理由を「召されて一つのからだとなった」と説明しています。救いは個人的なものですが、クリスチャン生活は、「キリストのからだ」(1:24)である教会を離れてあるものではありません。教会には時として問題が起こり、理想と現実の違いに幻滅しまうことがあるかもしれません。しかし、神は私たちを個人として救いに「召された」だけではなく、一つのからだとして召されたという理解も大切です。パウロは、「真理を犠牲にしてでも一致しなさい」と言っているのではありません。しかし、教会の一致を大切にするように勧めているのです。


            このメッセージは2025.3.23のものです。