神の約束と真実 創世記25章1-19節 



 私たちはこれまで、アブラハムがカルデアのウルから召し出されてからの生涯をたどってきました。そして今回は、アブラハムの人生の最後の場面です。彼は175年の生涯を閉じ、自分の妻を葬った「マクペラの洞穴」に、息子のイサクとイシュマエルによって葬られました(7-10節)。

アブラハムの生涯は神の約束に導かれたものでした。この25章には、その神の約束の真実を見ることができます。

 一つ目は、約束された子孫の繁栄の一端を系図から見ることができます。25章には、アブラハムの死の記述を挟んで、アブラハムとケトラとの間に生れた子孫のリスト(2-4節)とアブラハムと女奴隷ハガルとの間に生れたイシュマエルの子どもたちのリスト(13-16節 参 16:10,17:20,21:12,18)を見ることができます。さらに19節以降には、アブラハムと正妻サラとの間に誕生したイサクの子孫の歴史をたどっていくことができます。

 神はアブラハムに対してカナンへの旅の出発に際し、「あなたを大いなる国民と」(12:2)することを約束し、彼の名前をアブラムからアブラハムと変えられる場面でも、「あなたを多くの国民の父とする」(17:5)と約束しておられました。またイシュマエルについても「子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む」(17:20)との約束しておられました。それらの約束が、子孫の系図を通して成就していることがわかります。

 二つ目は、「幸せな晩年」(8節)を過ごしたことに見ることができます。15章の後半には、神はアブラハムの子孫が約束の地を相続することを厳粛な契約をもって保証しておられます。その際、彼の子孫が「自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる」(15:13)という、ずっと後のことを予告し、彼自身については「あなたは幸せな晩年を過ごして葬られる」ことを約束しています(15:15)。

 だれもが「幸せな晩年を過ごし」たいと思っていることでしょう。しかし、思うようにならないことも多いのが現実ではないでしょうか。しかし、神は彼に「幸せな晩年」を約束し、その通りにされたのです。

 最後は、神が「イサクを祝福された」(11節)ことに見ることができます。神はアブラハムを祝福し、イサクがアブラハムの祝福を継承する契約の子孫であることを明らかにしておられました(参 17:19-21)。神の約束は、イサクからヤコブへと継承されていくのを見ることができます(参 26:3-4,24,28:14)。そこにも神の約束の真実を見ることができます。

 神の真実は、アブラハムだけではなく、「アブラハムの子孫」(ガラテヤ3:29)である私たちにおいても変わらないものです。神は信頼できるお方です。アブラハムの「幸せな晩年」とは、具体的にどのようなものであったのかはわかりません。もしかすると、人生の波風に全く直面したかったということではなく(参 ヨハネ16:33)、信頼できる神がともにおられるという確信が、アブラハムの「幸いな晩年」を支えたということなのかもしれません。臨在を約束してくださるお方は、私たちにも「恐れてはならない」(26:24)と語りかけています。信頼して歩んでいきましょう。


 このメッセージは2025.1.5のものです。なお、「アブラハムの生涯」(計14回のメッセージ)のさらに詳しい要約は、長野聖書バプテスト教会説教集『神の約束に導かれて(Guided by God’s Promise)』(B5版、41頁)にまとめられています。