サラの死と埋葬 創世記23章1-20節

 アブラハムが神の御声に従ってイサクを献げようとした後に、二つの大きな出来事がありました。一つはカルデアのウルを一緒に出発し、長年苦楽をともにしてきた妻サラが死に、その彼女を埋葬するための墓地を購入したこと(23章)。もう一つは約束の子であるイサクの結婚でした(24章)。この二つは神がアブラハムに繰り返し約束してくださったカナンの土地所有と子孫の繁栄に関わりのある事柄でした。

 サラが亡くなったのは127歳。カナンに住むようになって62年が経過していました。彼女の歩みを振り返るときに、女奴隷ハガルやその子イシュマエルに対する嫉妬や敵意、神の約束を笑ったことなどの失敗が思い出されますが、新約聖書は彼女を信仰の人々の一人として(ヘブル11:11、13)、また従順な妻として評価しています(Ⅰペテロ3:6)。


 アブラハムは妻サラの死に際して「悼み悲しみ、泣いた」(2節)と記されています。彼の人生で「泣いた」と記されているのはここのみです。アブラハムの悲しみは絶望的なものではありませんでした。なぜなら、彼自身この地上にあっては旅人であり、寄留者であることを知っていましたし(ヘブル11:13、16)、妻サラの死は彼が目指していた天の故郷への一足早い帰還であることを知っていたからです。それでもなお、涙を禁じ得ないのは、妻にああしてあげればよかったといった後悔の念からではなく、自然な愛情からでした。主も涙を流されました(ヨハネ11:35)。悲しみのもとを知ってくださる方は私たちに墓の向こうにある希望を明らかにしてくださっています(Ⅰコリント15:23、Ⅰテサロニケ4:13-)。愛する者の死という悲しみの中にも、この希望を確かに持つことができる者は幸いと言えるでしょう。

 

 アブラハムは神の約束にも関わらず、サラの死まで一区画の土地も所有していませんでした。経済的には十分なものを持ちながら所有しなかったのは、この世の旅人としての信仰姿勢からでしょうか。サラを埋葬するための土地取得交渉の中で、彼は無償の提供を丁寧に辞退しています(11-13節)。それはやがて神が与えてくださるという土地を、神以外から与えられることを拒否する彼の信仰であり、異教徒(エフロン)にその栄誉を与えたくないということであったのかもしれません。

 アブラハムが妻の埋葬のために取得した墓地には、やがてアブラハム、イサク,ヤコブなどが葬られることになります(参 25:9,49:29-32,50:13)。アブラハムが生前取得した土地は神の約束からするなら本当に小さな点のようなものでしたが(参 15:18)、子孫と神の約束を結ぶものとなり、子孫たちにとって先祖たちが神の約束に信頼して生きたことを証しするものとなったのです。

 私たちの教会の墓地は市内の霊園にあります。それが私たちが亡くなった後も、私たちが神の約束に信頼して生きたことの記念碑となり神の約束と子孫を結びつけるものとなるなら、何と幸いなことでしょうか。


            このメッセージは2024.12.15のものです。