神のあわれみによる介入 創世記20章1-18節

 今回の「ゲラル」滞在の出来事の記事は、主に三つの対話から成り立っています。1つ目は神とアビメレクの対話(3-7節)、2つ目はアビメレクとアブラハムの対話(9-13節)、そして3つ目はアビメレクとアブラハム夫婦の対話(15-16節)です。今回と似た出来事は12章にもありますが、今回の出来事からはどのようなことを読み取ることができるでしょうか。

まず、アブラハムが同じ過ちを繰り返した理由がわかります(この点についての説明は省略します)。

 次に、神の介入のうちに神の真実とあわれみを見ることができます。神はアブラハム夫妻に「来年の今ごろ」男の子を授ける約束をしていました(17:21, 18:10)。今回の出来事は、その約束が実現しようとしていた直前のことです。もしサラがアビメレクに召し入れられたままでアブラハムの元に戻れなかったら、どうなっていたでしょうか。アブラハム夫妻は、自分たちの行動が神の約束を損なってしまうリスクをどれくらい認識していたのでしょうか。

 神は、ご自身の約束を実現するためにアビメレクに介入されました。神は夢の中でアビメレクに、サラが「夫のある身」であることを知らせました(3節)。アビメレクが潔白を主張した際、神はそれを認め、そのためサラに触れることを許されなかったことを明らかにしました(6節)。さらに神は、アブラハムに祈ってもらうように勧め、サラをアブラハムに返すよう命じ、もし返さなければどうなるかを強く警告しました(7節)。また、17-18節では、神が夢での警告だけでなく、アビメレクとその女性たちに子孫を授けないようにすることによっても警告を与えていたことがわかります。

 神は、ご自分の計画を誰にも妨げられることなく実現する力を持ち、約束を守られる真実なお方です。しかし、それによってアブラハムの不信仰が正当化されるわけではありません。もし私たちが不信仰がもたらす悲惨な結果を免れているなら、それは神のあわれみなのです。

 最後に、神のアビメレクへの介入を通して、神が結婚の純潔を大切にしていることがわかります。神はアビメレクにサラが既に結婚しており、「夫のある身」であることを知らせ、アビメレクがサラに触れることを防がれました(6節)。これによって、神はアブラハム夫妻の結婚の純潔を守られたのです。

 聖書は「淫らな行い」や「姦淫」を戒めています(ヘブル13:4, 出エジプト20:14, Ⅰコリント6:9, Ⅰテサロニケ4:3など)。また、神が性を結婚という絆の中で祝福することを教えています。現代では、結婚の枠に性を限定すると、厳しすぎるとか、古い価値観に縛られているとか、批判されます。しかし、神は私たちを束縛しようとしているのではなく、私たちの家庭を守ろうとしているのです。

 ヨセフは、主人ポティファルの妻から性的誘惑を受けたとき、「神に対して罪を犯すことができるでしょうか」(創世記39:9)ときっぱり拒否しました。Rossは「結婚の純潔を守ることは、神を畏れると同時に、他者との誠実さを保つことである」と述べています。彼のことばは神が私たちに望んでいることなのです。


       このメッセージは2024.11.24のものです。