新しい名前と割礼 創世記17章1-27節
この17章は、アブラハムの人生における転換点といってもいいでしょう。なぜなら、神から新しい名前「アブラハム」が与えられ(名前の変更は、単なる呼称の変更ではなく、神がどのような者としてくださるかの保証)、神との契約を結び、「契約のしるし」(11節)である「割礼」を受けた場面だからです。
アブラハムが九十九歳の時のことです(イシュマエルが誕生してから13年)。神はご自身を現され(1節)、彼に語りかけられ(1,3,9,15節)、22節では、語り終えて彼のもとを去ったことがわかります。神はアブラハムにご自身を「全能の神」(エル・シャダイ)と名乗られ、アブラハムに対して「わたしの前に歩み、全き者であれ」と命じています(1節)。神との交わりのうちに誠実に生きなさい、ということです(参 6:9)。
神はアブラハムにどのような生き方を期待しているかを明らかにした後、彼と契約を結ぶことを明らかにしています。この17章に「契約」という言葉が13回出てきます(そのうち「わたしの契約」は9回、「永遠の契約」は3回)。「契約」については、すでに15章に出てきました。15章の契約と今回の契約はどのような関係にあるのでしょうか。新しい契約ではなく、15章の契約を発展させ強化したものと言っていいでしょう。15章の契約の焦点は「土地」にありましたが、17章は「子孫」(6回)にあります。今回の契約は、アブラハムとの個人的なものだけではなく、アブラハムの「子孫」との「永遠の契約」であることが明らかにされています。世代を超えた永続的なものであるということです。その契約は、19節以降を見ると、すでに成長して13歳になったイシュマエルにではなく、「サラが来年の今ごろあなたに産むイサク」によって引き継がれることが明らかにされています。
15章の契約の前提にはアブラハムの信仰がありました(15:6)。今回の契約の前提にも神がアブラハムとその子孫に期待する信仰による歩みがあることがわかります(17:1)。そして、神は今回の契約において、はっきりとご自身が彼らの神となることを約束しています(7,8節)。「全能の神」がともにいてくださり、私たちの人生をささえ、導いてくださるとするなら何と心強いことではないでしょうか。
神は「契約のしるし」として、「割礼」(ムール、男性の性器の包皮を切除する儀式)を受けるように命じています(10節)。「割礼」は、他の民族の中にも見られた儀式であり、大人への通過儀礼や、結婚の際に行われていました。しかし、神がアブラハムに命じられた割礼は、「生れて八日目」に受けるように命じられていたものであり、アブラハムの血縁に限定するものではありませんでした(異邦人に対しても開かれていた 参 12,23,27節)。割礼は人々にとって契約に生きることを思い起こさせるものであり、そして、受けた者たちは神の霊的な共同体のひとりとして数えられることになったのです。
22-27節には、神が命じられた割礼をアブラハムたちが「その日のうちに」(23,26節)という言葉が繰り返され、即座に受けたことが強調されています。サラとの間に男の子が生れるとの約束に対して「笑った」アブラハムですが(17節)、神は後に彼に喜びの笑いを与えてくださるのです。
このメッセージは2024.11.3のものです。