主の驚くべき知恵 マルコ12章1-17節

 

 宗教指導者たち(参 11:27)が主のもとを去った後、彼らによって「パリサイ人とヘロデ党の者」が遣わされてやって来ました(13節)。本来、「パリサイ人」と「ヘロデ党の者」は、立場が違う人たちです。しかし、主を亡き者にするという同じ目的のために手を結んでいるのです。彼らはことばの罠によって主を捕らえようとやって来たのです(参 マタイ22:15)。

 彼らは主の答えを引き出そうとする前に、心にもないお世辞を言っています。その言葉は皮肉にも主について真実を語っているのですが、もし彼らが主を「真実な方」であり、「真理に基づいて神の道を教えておられる」と本当に思っていたなら、主を「試す」(悪い動機)ために質問などできなかったでしょう。彼らは主に対して、あなたは保身のために自分の意見を控えたり変えたりする方ではないですよねと、問いの前に釘をさしているのです。

 彼らが主に問いかけたのは、ローマへの納税(人頭税)についてでした。AD6年にユダヤの領主アルケラオが失脚すると、ユダヤはローマの直轄地となりローマへの納税が課せられました。多くの民衆にとって納税はローマ支配を象徴するものであり、不快なものでした。もし主によって「納めるべきである」との発言を引き出すことができるなら、民衆の支持を失わせることができます。逆に「納めるべきではない」との発言を引き出すことができるなら、ローマへの反逆者として捕らえことができます(参 ルカ20:20)。主がどちらに答えても、主を不利に陥れる巧妙な問いだったのです。

  主は納税に使われていたローマの「デナリ銀貨」を持ってこさせて、彼らに「これは、だれの肖像と銘ですか」と尋ねられました(16節)。彼らが「カエサル(ローマ皇帝の称号、当時はティベリウス帝)のです」と答えると主は、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と答えられました。彼らはその答えに「驚嘆し」ました(17節)。その答えには付け入る隙がなかったからです。

 彼らの質問は、皇帝の権威に従うか、神の権威に従うか、という二者択一を迫るようなものでした。しかし、主は皇帝の権威を否定しないで、神の権威に従うことを明言されたのです。主は「カエサルのもの」に対して、「納めなさい」(14節)ではなく「返しなさい」(17節)という言葉を使っています。カエサルに返さなければならない負い目があるなら、当然返すべきであるというのです。ローマの統治によって治安が保たれ、安全な旅や物流を可能とする恩恵を受けているなら返す(納税)べきだということです。しかし、主はさらに「神のものは神に返しなさい」とも言われました。神はすべての創造者であり、すべての所有者です(参 詩篇24:1)。その栄光も富も力などもすべてを神に返すことは当然のこととしているのです。

 主は政治(ローマ)と宗教(神)という二つの領域を分離させないで、最終的には神にすべての権威を帰属させて神に従うことを命じています。主はその驚くべき知恵をもってご自身の権威を示され、敵対者を驚嘆させるだけでなく、沈黙させてしまわれたのです(参 ルカ20:26)。

 後にパウロは「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです」(ローマ13:1)と語り、納税をすすめています(ローマ13:1,7 参 テトス3:1-2,Ⅰペテロ2:13-17)。しかし、人の権威が神の権威を侵害するとき、人を恐れることなく神に従わなければなりません(参 使徒5:29,出エジプト1:17,ダニエル3:12)。「人の顔色を見」(14節)ないで、神と神のみことばに従いましょう。

[1-12節の「悪い農夫たちのたとえ」にみられる主の知恵については説教集をみてください]


   このメッセージは2024.6.23のものです。