苦しむ者への励まし Ⅱテサロニケ1章1-12節
パウロはほとんどの手紙で冒頭に感謝をもってきていますが、この第二の手紙でも同じです。では彼は何を感謝しているのでしょうか(3節)。
一つは、テサロニケの信者たちの信仰の成長です。第一の手紙で、パウロは迫害のためにこころならずもテサロニケを離れなければなりませんでした。それで彼らの信仰を心配した彼は弟子のテモテを派遣して、その信仰の様子を知り、励まそうとしました(3:3-5)。そして、彼らの「信仰の不足」を補うことができるようにと祈っていました(3:10)。そのパウロにとって彼らの信仰が「大いに成長し」ているのを知ることは大きな喜びだったに違いありません。
もう一つは、テサロニケの信者たちの相互愛が豊かになっているということです。第一の手紙で相互の愛が豊かになるように祈っていましたが(3:12)、その祈りが答えられているのです。相互の愛は、主が命じられたことであり、主の弟子であることの際立ったしるしです(ヨハネ13:35)。
パウロは、なぜ神に感謝しているのでしょうか。それは彼らの信仰の成長や相互愛の背後に、神の働きがあることを見ているからです。
パウロは、テサロニケの教会が同胞から迫害を受け(参 Ⅰテサロニケ2:14,3:3-4)、その迫害がまだ続いていたことを知っていました。彼らは「迫害」や「苦難」に直面しても「忍耐と信仰を保って」いたのです。
苦しみは、時に人を不信仰にしてしまい、その人を神から引き離してしまうことがあります。しかし、その一方で「苦難が忍耐を生み出し」(ローマ5:3)とあるように、その人を強めることもあります。テサロニケの人々に蒔かれた種はしっかりと根を張り(参 マタイ13:20-21)、実りをもたらしはじめていました。パウロは「諸教会の間であなたがたを誇りに思っています」と述べていますが、それはテサロニケの信者たちにとってどんなにか励ましのことばとなったことでしょうか。
パウロは苦しみに耐えているテサロニケの信者たちを励ますために、神の正しいさばきによって、苦しめる者と苦しめられている者との立場が逆転することを約束しています。
さて、神の正しいさばきとは、いつ、誰をさばき、そのさばきの内容はどのようなものでしょうか(7-9節)。
まず、神の正しいさばきは、主イエスが天から「現れる」(アポカリプシス)ときです。それは主の再臨の時です。
次に誰がさばかれるのでしょうか(8節)。異邦人、ユダヤ人にかかわらず神のメッセージ(福音)を拒絶する者たちです。
最後に、どのようなさばきを受けるでしょうか(9節)。それは「永遠の滅び」と「主の御前から、そして御力の栄光から退けられる」と表現されています。ある人たちは「永遠の滅び」とは消滅を意味していると理解していますが、「永遠の滅び」は「永遠のいのち」と対極にあるものであり(参 マタイ25:46,41)、永続する苦しみと理解すべきでしょう。それは想像するだけでも恐ろしいことです。神が愛のお方であるなら、なぜそのような恐ろしいさばきを備えておられるのか、と批判する人々がいるかもしれません。忘れてはならないことは、神は聖であり、義なる(正しい)お方です。そして罪をさばかれるということです。その一方で、神は罪人を深く愛し、赦しの道をご自身のひとり子を犠牲にして備えてくださったお方です。人がさばかれるのは神の愛が足りないからではありません。神がそなえてくだった赦しを拒むからなのです。
このメッセージは2022.8.21のものです。