「ルツ記」について ルツ記1章1-5節

 さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした(ルツ記1章1節)。

 聖書の中で女性の名前が書名となっているのは二つだけです。一人は「エステル」、もう一人は「モアブ人の女(娘)」(1:4,22,2:2,6,21,4:5,10)と繰り返し呼ばれている「ルツ」です。二人とも堅実で勇気のある女性といってよいでしょう。以前、「エステル記」を取り上げましたが、今回は「ルツ記」をとりあげたいと思います。最初のメッセージでは、時代背景やルツ記の特徴や書かれた目的などについてみていくことにしましょう。

 まず、ルツ記の時代背景ですが、このポイントは、ここでは省略します。編集予定の説教集で確認ください。

 次に、ルツ記の特徴を見ていきましょう。一つ目は、何と言っても短いということです。わずか四章、計八十五節です。短いからといって決して内容が薄いということではありません。そこには人生のいろいろな要素(悲哀、喜び、決心、出会い、愛、勇気、期待と不安)が凝縮され、人々を感動させるものがあります。特に、主な登場人物の互いに対する思いやりには心動かされるのではないでしょうか。

 二つ目は、会話が主体としてストーリーが展開され、登場人物がいきいきと描写されているということです。三人の主な登場人物でいちばん多く語っている(発言の回数と長さ)のはボアズです(14回)。次がナオミ(12回)、最後がルツです(10回)。内容を1章ごとに簡単に要約すると、1章は「帰還」です。嫁のルツを伴って故郷ベツレヘムへ帰る姑ナオミの姿には痛々しさがあります。2章は「出会い」です。落ち穂拾いへと出かけたルツはボアズと出会い、彼の寛大さに接します。3章は「求婚」です。ルツはナオミの助言に従い、買い戻しの権利を所有するボアズにプロポーズします。4章は「子孫」です。ボアズは親類としての買い戻しの役目を果たし、ルツと結婚し、二人の間にダビデ王の祖父となるオベデが誕生します。

 三つ目は、神への言及が多いということでしょう。エステル記とはとても対照的です。エステル記には「主」や「神」ということばが一切出てきません。しかし、このルツ記には、「主」(18回)、「神」(3回)、「全能者」(シャダイ 2回 1:20,21)ということばが出てきます。登場人物たちによってそのことばが用いられ、彼らがどのような信仰をもっているのかを読み取ることができます。

 次に、ルツ記の書かれた目的を見ていきましょう。新約のヨハネの福音書のように目的が書いてあるわけではありませんので(参 20:31)、読者はその目的を読みとく必要があります。いろいろな説が考えられます。例えば、モアブ(異邦人)のヒロインをダビデ王の先祖の中に組み入れることによって、イスラエルの民の異邦人に対する偏見を正そうとしているとか、「親戚の役目」(3:13)として「買い戻し」(参 レビ25:23-25)の義務を見事に果たしたボアズを描くことによって、律法の遵守を勧めようとしているのだとか。しかし、それらはルツ記の目的を正しく言い当ててはいません。

 ルツ記が書かれた目的は神の御手と恵みを証しすることではないでしょうか。人生のあらゆる出来事は偶然ではありません。すべてを支配しておられる神は、傷心のナオミを慰め、姑ナオミに献身的に仕えるルツを祝福し、信頼できるボアズを大きく用いられるのです。モアブ人(異邦人)の一人の女性がやがてはダビデ王の曾祖母となり、またその子孫から救い主が誕生してくるとはだれが想像できたでしょうか(参 マタイ1章)。神は、誰であれご自身に信頼する者をお見捨てにならず、恵みをもって報いてくださるお方なのです(参 2:20)。

              このメッセージは2022.7.10のものです。