最後の勧告と祈り Ⅰテサロニケ5章19-28節

 テサロニケ人への手紙第一の終わりには、多くの勧告と祈り(23,28節)があります。まず、19-22節には、五つの勧告がありますが、前半の二つの否定的な勧告(19,20節)と、後半の三つの勧告(21,22節)とに分けることができるでしょう。ここには「預言」のことが取り上げられています。

 第一の勧告は「御霊を消してはいけません」です。聖霊の働きを制限してはいけない、抑制してはいけないという意味です。聖霊の働きに対して心をオープンにしている必要があるということでしょう。

 第二の勧告は「預言を軽んじてはいけません」です。「預言」というとき、聖霊の賜物としての預言、啓示された特定のメッセージの二つが考えられます。預言の働きは、聖霊によるものです(参 民数記11:26-29,使徒2:17)。

 「預言」は、聖霊の賜物の一つですが(参 Ⅰコリント12:10、ローマ12:6)、今日もその賜物を行使する者(預言者)たちは存在するのでしょうか。それについては「預言」をどのように定義するかにもよりますが、意見が分かれています。ある人たちは、「現在も旧約の預言者や新約の使徒たちと同じような権威をもつ預言の賜物が存在する」と考えています。また、ある人たちは、啓示の書である聖書が完成している今日においてはそのような賜物は途絶えてしまったと考えています(参 Ⅰコリント13:8。現在も存在すると考えるなら、聖書の「十分性」や「完結性」を危うくしてしまう)。また、ある人たちは、新約の教会における預言は、旧約の預言のような権威あるものではなく、「主として勧めや慰めのことばである」と考えています(ウェイン・グルーデム)。

 新約聖書において「預言者」は、「使徒たち」の次に出てくる存在で(エペソ4:11,Ⅰコリント12:29)、彼らは教会の土台を据えた人たちです(エペソ2:20)。また、使徒の働きには、何人かの預言者たちが登場しています(11:2,21:10,15:32,21:9)。今日においても、預言の賜物やそれを行使する預言者がいるか、という問題は簡単に論じられない点がありますが、パウロの第三の「すべてを吟味し」なさいという勧告はとても重要です(Ⅰコリント14:29)。なぜなら預言のすべてが神(聖霊)からのものとはいえないからです(Ⅰヨハネ4:1-)。パウロはここで吟味するための基準について述べていませんが、いくつかをあげることができるでしょう。一つ目は、使徒の教え(神のことば)と一致しているかどうか(参 Ⅱテサロニケ2:15)、二つ目は預言の成就(申命18:22、使徒11:28)や預言の効果(Ⅰコリント14:3,4)という面から、三つ目は預言する者の実によってです(マタイ7:15,16)。

 ジョン・マッカーサー師は「現代のカリスマ運動は、神秘的な色彩が強く、聖霊の真の働きを誤解させ、聖霊の聖化の目的を阻害している」(1&2Thes.NT Commentary 192頁)と警鐘を鳴らしていますが、聖書全体における聖霊の働きの強調点がどこにあるかをしっかりと再確認する必要があることを覚えます。

 第四の「良いものはしっかり保ちなさい」と第五の「悪から離れなさい」の勧告は、吟味した後の対応です。神からのものをしっかり保持し、そうでないものを拒絶し、退けなさいということです。

 [23節以降にある「勧告」と「祈り」については、説教集で確認してください]


 このメッセージは2022.7.3のものです。なお、テサロニケ人への手紙第一(計10回のメッセージ)のさらに詳しい要約は、長野聖書バプテスト教会説教集『再臨に備えて』(B5版、29頁)にまとめられています。