神が望んでおられること Ⅰテサロニケ5章12-18節

 神は、神から生まれた「神の子どもたち」(兄弟姉妹たち)にどのようなこと望んでおられるのかを見ていきましょう(これまでの箇所においては、「聖さ」、「兄弟愛」、相互に「励まし合う、高め合う」ことを見いだせる 4:3、4:9-10、5:11)。

 第一は、指導者(牧師)への敬愛ということです(12,13節)。パウロは指導者にどのような態度を取るべきかの前に、指導者の働きを三つの動詞で説明しています。一つ目は「労苦する」(コピアオー 1:3,3:5は名詞「労苦」)です。困難な働きに従事していることを意味しています。指導者の具体的な働きの内容については「みことばと教えのために労苦している」という表現があります(Ⅰテモテ5:17)。それは人の全生涯に関わる働きです。二つ目は「指導する」(プロイステーミ)です。導き、世話をするという意味です。監督の資格の中では家庭を「治める」と訳されています(Ⅰテモテ3:4,5)。三つ目は「訓戒する」(ヌーセーテオー、14節で「諭し」と訳されている)。忠告したり、誤りを正したりすることです(参 使徒20:31)。いろいろなタイプの人々がいるので、時には難しい点があります。

パウロは指導者に対して、まず「重んじ」(第三版「認めなさい」)るように求めています。その働きの重要性と困難さをよく理解し、従うようにと言い換えてもいいでしょう(参 ヘブル13:17)。そして、次に「愛をもって、この上ない尊敬を払」うように求めています(共同訳「心から愛し敬いなさい」)。自分よりも人生経験や聖書知識も浅い若い指導者を敬愛することは容易ではないかも知れません。しかし、指導者がキリストによって立てられていることを覚える必要があります(参 エペソ4:11)。13節の最後に、パウロは「お互いに平和を保ちなさい」と命じています。指導者と兄弟姉妹たちの関係に「平和」がないなら、教会の成長は大きく阻害されることになるでしょう。

 [第二は、兄弟姉妹たちが支え合い、さらにはすべての人に対して寛容であり、善を努めることです(14,15節)。] — このポイントは説教集を見てください。

 第三は、状況に一喜一憂しないで、福音にしっかり根ざした「喜び、祈り、感謝」を基調とした歩みをすることです(16-18節)。これらの三つの命令(「喜び」:ピリピ4:4,3:1,ガラテヤ5:22、「祈り」:ルカ18:1-,エペソ6:18,コロサイ4:2、「感謝」:エペソ5:20,コロサイ3:15,17)には、それぞれ「いつも」、「絶えず」、「すべてのことにおいて」と制限をつけない言葉があります。クリスチャンたちはその人生において、喜べない時や祈れない時、感謝できない状況を多く経験してきていることでしょう。神が私たちに望んでおられる基準はあまりにも高く、現実離れしていると思われるかもしれません。確かに、どの命令も肉の力ではできそうにありません。しかし、神はご自身の臨在の中を歩むなかで、喜びや祈りや感謝がクリスチャンの特徴となることを願っておられるのです。

 喜べない、感謝できないような状況の中で喜び、感謝できるようになるためには、神がすべてのことの中に働いておられて、その一つ一つを益に変えてくださるという信頼が必要でしょう(ローマ8:28)。また、そのために神が聖霊を与えてくださっていることも十分理解する必要があることでしょう(参 1:6 苦難の中に喜びが存在している)。


                           このメッセージは2022.6.12のものです。