愛する子テモテへの励まし Ⅱテモテ1章1-7節

 そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください(Ⅱテモテ1章10節)。

 

 パウロは、挨拶(1,2節)の後の3-6節において、テモテを想起する表現を4回も使っています(3節「思い起こし」、4節「覚えている」、5節「思い起こしています」、6節「思い起こしてほしい」)。自らがテモテを想起するだけでなく、彼にも過去を思い起こさせて励ましていることがわかります。では、どのように励ましているのでしょうか。

 一つ目は、祈りや感謝の思いを伝えることによってです。自分が尊敬する大先輩から「あなたのことは絶えず祈りに覚えていますよ」と言われたなら励まされるのではないでしょうか。パウロのスタッフとして加えられて15年ぐらいになるでしょうか。自分の気質や病気、そして、今エペソの教会においてどのような問題に直面しているかもよく知っている人が神の前にとりなしていてくれる、そればかりか、自分の存在を覚えて神に感謝をささげていることを知ることは、テモテにとって励ましとなったに違いありません。

 二つ目は、会いたいとの思いを伝えることによってです。死が間近に迫る中で、愛する子であるテモテに会いたい、それは自分が単に喜びに満たされたいだけではなく、困難な働きに立ち向かわなければならないテモテに直接会って励ましたいとの思いがあったからに違いありません。「涙を覚えているので」とあります。最後の別れの時の涙なのか、それとも牧会上の涙(参 使徒20:31)なのか分かりませんが、テモテに対するパウロの愛情を読み取ることができることばではないでしょうか。誰かからしっかりと愛されていることを知ることは、誰にとっても励ましとなるはずです。

 三つ目は、「偽りのない信仰」を持っているとの確信を伝えることによってです。ここでパウロは三世代の信仰に言及しています。テモテの家族で、最初にクリスチャンになったのは祖母ロイスと母ユニケです。母ユニケはギリシア人の男性と結婚していたので、おそらく厳格なユダヤ教徒ではなかったと考えられます。しかし、テモテは小さい時から旧約聖書を教えられる環境で育ちました(3:15)。神を恐れ敬う信仰の素養は家庭で準備され、パウロの伝えたキリスト(旧約聖書を成就されたお方)を通して本物の信仰へと導かれたのです。祖母や母の信仰が本物だと知っているテモテが、そのような信仰はあなたにもあると言われたなら、励まされたことでしょう。

 四つ目は、すでに「神の賜物」が与えられていることを思い起こさせることによってです。テモテに按手の時のことを思い起こさせ、神が彼に賜物を与えられたことを自覚せようとしています。そして、賜物を豊かに活用することを、火をあおって燃え上がらせる事にたとえています。7節の文頭には、理由を説明する接続詞があり、6節の「賜物」を説明しています。テモテは内気で繊細な性格ではなかったかと言われますが、神の賜物は彼に恐れを克服する「力」を与え、人と関わり続けるための「愛」や「慎み」(節度のあること)を生みださせるのです。神はご自身の働きに人を召される時、その務めを果たすことができるように必要な賜物も与えてくださいます。ここでパウロは、すでに与えられている賜物を自覚し、豊かに活用できるようにテモテを励ましているのです。

 困難な働きに立ち向かおうとしている人が必要としているのは叱責ではなく励ましではないでしょうか。その励ましをパウロは手紙の冒頭で与えているのです。

                      このメッセージは2021.6.6のものです。