共に祈る教会 使徒12章1-17節
教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた(使徒12章5節)。
12章には二つの出来事が記されています。一つは使徒ペテロの救出(1-19節)、もう一つはヘロデ王の死です(20-23節)。
1節の「ヘロデ王」とは、ヘロデ・アグリッパ1世(AD41-44年)のことです(25:13に登場するのは彼の息子でアグリッパ2世)。主が誕生されたときの「ヘロデ王」(マタイ2:1)はアグリッパ王の祖父にあたり、彼はベツレへムの二歳以下の男の子たちを虐殺した残忍な王として知られています。
ヘロデ家はユダヤ人たちからあまり良く思われていませんでした。それでアグリッパ王もユダヤ人に取り入ろうとして、彼らが迫害していた教会の指導者の一人、「ヨハネの兄弟ヤコブ」を殺害しました(参 マルコ10:39)。教会の最初の殉教者はステパノでしたが(使徒7:60)、使徒たちの中で最初の殉教者となったのはヤコブでした(17節の「ヤコブ」は主の兄弟であると思われる。参 使徒15:13、ガラテヤ2:9)。
アグリッパ王は使徒ヤコブの処刑が「ユダヤ人に喜ばれたのを見て」(3節)、さらに使徒ペテロの殺害をも企てました。処刑のためにペテロを捕らえたものの「過越の祭り」(種なしパンの祭り)の時期であったので、祭りが終わってからそれを実行しようと考えました。ペテロは四人ひとグループ、四組の交替制による厳重な監視体制のもとに置かれ、そこから脱出することは不可能な状況にありました。そのような中、「教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげてい」ました(5節)。
「使徒の働き」を読み進めていく中で、初代教会のキリスト者たちが重んじていた事柄の一つは「祈り」であったことが分かります。(1:14,2:42)。そして、ここでも彼らは心を一つにしてペテロのためにとりなしの祈りをささげていることがわかります。ペテロが御使いによって解放された時まず向かった「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家」では、多くの人々がともに集まって祈りをささげていました。当時のキリスト者たちは今日のような教会堂を持たず、家が開放されて集会や祈祷会が行われていました。マリアの家の祈祷会は多くの祈祷会の一つではなかったかと思われます。
ペテロの救出は、神が教会の祈りに答えられたことを証しするものです。また、ペテロが解放されてからマリアの家に行った時、彼らは当初そのことを現実のこととは信じられませんでした。そのことはペテロの救出が教会の祈りや期待をはるかに超えた神のみわざであったことを意味しています(参 エペソ3:20)。 ペテロの救出において、「門がひとりでに開いた」とあります(10節)。私たちの人生には神の力によってしか開くことのできないさまざまな門があります。もし私たちが神に信頼して祈らず、それらの門を自らの力でこじ開けようとしているなら愚かといえるでしょう。主は「不正な裁判官のたとえ」をもって(ルカ18:1-)、失望しないで祈り続けるようにと私たちを励ましておられます。神に信頼して、閉ざされた門が開かれていくように共に祈っていきましょう。
このメッセージは2021.5.30のものです。