初代教会の特徴

 

 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた(使徒2章42節)。

 約束された聖霊が降臨した「五旬節」(ラテン語 ペンテコステ)の日、ペテロの説教によって三千人もの人々が福音を信じてバプテスマを受けて、「仲間に加えられ」ました(41節)。その彼らが何をしていたかが42節に記されています。直訳するなら「彼らは使徒たちの教えと交わり、パン裂きと祈りに専念していた」となります。四つの名詞「教え」「交わり」「パン裂き」「祈り」は、「専念していた」(プロスカルテレオー 使徒1:14,6:4にも用いられている)という動詞にかかり、彼らが何を重んじていたかがわかります。その特徴は、今日の教会が立ち返るべき一つの姿を示していると言っていいでしょう。さて、彼らは何に専念していたのでしょうか。

 第一は、「使徒たちの教え」です。「使徒たちの教え」とは、使徒たちを通して伝えられた主イエスの教えで、それはやがて新約聖書として成文化されていきます。教えが第一に来るのは信仰生活のすべての基盤だからです。誤った教えに惑わされずに(エペソ4:14)、健全な信仰を築き上げていくためには使徒たちの教えにしっかりとどまる必要があります(使徒20:32)。

 第二は、「交わり」です。「交わり」(コイノーニア)ということばの中心にあるのは「共通の」という意味の単語の「コイノス」です。クリスチャンたち相互の交わりを成り立たせているものは、お互いに気が合うとか、共通の関心や利害が一致するということではなく、「同じ(共通の)信仰」(テトス1:4)であり、「神との交わり」(参 Ⅰヨハネ1:3,6,Ⅱコリント13:13、ピリピ2:1)の中に導き入れられているということにあります。

 赦された罪人同士の間には、さまざまな問題が起こります。横の相互の交わりを保つためには、それぞれのクリスチャンが縦の神との交わりの中に歩み続ける必要があります(Ⅰヨハネ1:7)。神との正しい関係に歩み続けるとき、自分の怒りやねたみや高慢といった問題に気付かされ、御霊の助けによって関係修復のための一歩を踏み出すことができるからです。

 信仰を持つということは個人的な事であると言えるかもしれませんが、信仰をもって歩むということはクリスチャン相互の交わりの中に生きることを意味します。孤立しないようにする必要があります。

 第三は、「パン裂き」です。パン裂きとは、「主の晩餐」のことだと思われます。最後の晩餐の席上、主は弟子たちにこの儀式を守るように命じられました(ルカ22:19-)。救われた者たちは、キリストのからだと血を象徴するパンと杯にあずかることによって主の死を覚え、主への献身を新たにしたのです(Ⅰコリント11:23-)。使徒の働きでは、パウロたちが第三回伝道旅行の帰路のトロアスにおいて「パンを裂くために集まった」ことが記されています(使徒20:7)。

 最後は、「祈り」です。祈りが神との交わり(会話)であることについては先にお話しましたが、ここでの祈りは個人的な祈りではなく、共に集まっての祈りです(マタイ18:19)。主イエスが昇天された後、弟子たちは「心を一つにして祈りに専念していた」(使徒1:14,第三版)とあり、12章では投獄されたペテロのために「教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた」(12:12)とあります。「祈り」と「専念する(プロスカルテレオー)」という動詞は一緒に出てきます(ローマ12:12、コロサイ4:12)。初代教会のクリスチャンたちが「心を一つにして」して祈ったように私たちも霊的な一致をもって祈っていきましょう。

 私たちはどのような教会を目指しているのでしょうか。この年頭において初代教会のクリスチャンたちの姿から改めて問い直しましょう。

                      このメッセージは2021.1.3のものです。