教会について(3) 教会の職務とは?

 

 こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです(エペソ4章11,12節)。

 今回は、教会の指導者について使われている用語と役割について取り上げます。彼らは、単に「指導者たち」(ヘブル13:7,17,24)と出てくる一方で、職務名として「長老」、「監督」、「牧師」という三つの用語で出て来ます。それぞれはどのような働きをする人なのでしょうか。

 まず、「長老」と訳されているのは、ギリシア語では「プレスビュテロス」です。「年長者、お年寄り」という意味ですが(Ⅰテモテ5:1)、通常、「長老たち」と複数形で出て来ます(使徒11:30、15:4,6,22,16:4,21:18など)。伝道の働きによって各地に教会が誕生すると、「長老たち」が選出されました(使徒14:23、テトス1:5)。パウロは、自分が三年間指導してきたエペソの「長老たち」をミレトスへと呼び寄せ、告別の説教をしていますが(使徒20:17-)、その中で「あなたがたは自分自身と群れ全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです」と語っています。そこから分かることは、長老たちは教会を牧する働きをする者たちであり、それは神(聖霊)の召しによるものであり、彼らのことが「監督」と言い換えられているということです(テトス1:5→1:7)。同じような内容は、使徒ペテロによる「長老たち」への勧めの中で(Ⅰペテロ5:1-)、「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい」に見ることができます。

 次に「監督」と訳されているのは、ギリシア語の「エピスコポス」で、元来「監視人、見張り人」という意味です。Ⅰテモテ3章2-7節には、監督の資格が挙げられています。彼は「神の教会の世話」をする者であり、「神の家を管理する者」(テトス1:7)です。

 次に、「牧師」(エペソ4:11)と訳されているのは、ギリシア語の「ポイメーン」です。「羊飼い」(マタイ9:36)という意味です。文字通り、神の羊の群れを牧する者です。牧師は「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ」、「キリストのからだ」である教会を建て上げるために、キリストによって立てられた者です。

 このように見ていくと、「長老」「監督」「牧師」は、少し不明瞭な面はあるものの異なる働きをする者ではなく、神の羊の群れを牧する、教会の指導者を指して使われていると結論づけることができるでしょう。

 「執事」と訳されているのは、ギリシア語のディアコノスで、職務名としてそのように訳されているのはⅠテモテ3章8節とピリピ1章1節です。他は「奉仕者」、「しもべ」、「仕える者」と訳されています。Ⅰテモテ3章8-13節の資格を見ると、高い霊的な資質が求められています。ある人たちは、使徒6章に選出された、やもめの配給のために選ばれた七人のうちにその原型をみることができるのではと考えています。彼らは使徒たちが「祈りと、みことばの奉仕」に専念できるように働きました。執事が教会の中で実際どのような働きをしたかは具体的に明らかではありませんが、執事は牧師の働きを助け、ともに教会に仕える者であったと言えるのではないでしょうか。

 主がこの世の指導者たちと教会の指導者たちとの違いを語っている箇所があります(マタイ20:25,26)。キリストは「仕えられるためではなく仕えるために」来られました。そして、クリスチャンたちも「仕える者」(ディアコノス マタイ20:26)となるように願っておられるのです。牧師をはじめとして教会の兄弟姉妹たちの高慢によって(参 Ⅲヨハネ9節)、どれだけ様々な教会がダメージを受けてきたことでしょう。私たちは互いに仕え合う者であることを忘れないようにしましょう(ガラテヤ5:13,Ⅰペテロ4:10)。

                     このメッセージは2020.11.22のものです。