立ち直らせてくださる主 ヨハネ21章15-17節

 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた(ヨハネ21章17節)。

 主イエスは復活後、マグダラのマリアやトマスを個人的に取り扱っておられ、今回の場面ではペテロを取り扱っておられます。主はペテロがご自身を否認することをあらかじめ知っておられただけでなく、その否認から立ち直ることも予期しておられました。そのことは、ペテロに対する「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)の言葉から見ることができます。ですから、今回の主とペテロとの会話は、主がペテロを立ち直らせようとしている場面であるということができるのです。では、ここからどのようなことを見出すことできるでしょうか。

 まず、ペテロは自分の弱さを通して謙遜に主に信頼することを学んでいるということです。そのことは、主の「あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」と問いに対する「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」とのペテロの答えに読み取ることができます(17節 三回目の答えでは「あなたはすべてのことをご存じです」となっている)。かつては「たとえ皆があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」(マタイ26:33)と豪語していた彼です。しかし、三度もの否認を通して自分の弱さに向き合わされ、もはや自分の愛を誰かと比較しようとはしていません。他の弟子が自分以上に主を愛するかは正確には彼の知るところではないからです。主はユダの裏切りも(6:64)、ペテロの裏切りも(13:38)、そして主ご自身に起こることも正確に知っておられました(18:4、13:19)。主は今、自分が何を考え、将来自分がどのように行動するかもご存じの方であることを彼は知っています。今の自分の主を愛する思いには偽りがないことは分かっています。しかし、だからと言って絶対に失敗しないと言い切れないことも知っています。だから自分のことを自分以上に知ってくださっている主に訴えて委ねているのです。

 次に、主の三回の質問は、ペテロが抱える心の傷から回復させようとの意図があったということです。主が三回ご自身への愛を尋ねられたとき、ペテロは「心を痛めて」います(17節)。それは彼の三回の否認が心の中に未解決の問題としてまだ残っていたからです。主がペテロを過去に向き合わせようとされるのは、彼の古傷をつつき傷つけるためではなく、しっかりと心の傷をいやすために他なりません。心の傷は肉体の傷と違ってはっきりと見えないために軽視されがちですが、しっかりと処置がなされないと、ふとした出来事によって傷口が開き、その人を過去に縛りつけて苦しめ続けることになります。主はペテロの否認に対して、一回毎にご自身への愛の告白を引き出させて、真に彼を過去から自由にし、将来の働きへと備えようとしておられるのです。

 主の「わたしを愛していますか」との問いかけは単純ですが、心深く探られます。主が私をどのように愛してくださったかを知るなら、「はい、主よ」とは、とても言えません、と言われますか。自分のことを自分以上に知ってくださっているお方に信頼して応答していきましょう。

                          このメッセージは2020.6.7のものです。