主イエスの十字架 ヨハネ19章17-27節

 彼らはその場所でイエスを十字架につけた(ヨハネ19章18節)。

 昨年の1月からヨハネの福音書の講解説教がスタートしましたが、いよいよ主イエスが十字架刑にかけられる場面へとやってきました。「十字架」は私たちの信仰の核心部分です(Ⅰコリント15:3)。来週の二回に分けて見ていきましょう。

 主と犯罪人の二人が十字架にかけられたのは、ヘブル語で「ゴルゴタ」(「どくろ」の意味)と呼ばれていた場所です(17節)。今日、その場所がどこであるかは正確には分かりませんが、聖書の手がかりから分かることは、都に近いところにあり(20節)、通りすがりの人々がののしっているので(マタイ27:39)、公道のそばであっただろうと考えられます。そして、彼らが十字架にかけられたのは朝の9時頃でした(マルコ15:25)。

 当時、十字架刑の判決を受けた者は、自らの十字架を刑場まで担って行かなければなりませんでした。しかし主の場合は、昨夜からの逮捕、幾度もの尋問、むち打ちなどのために体力を消耗していて、途中で運ぶことができなくなり、「シモンというクレネ人」が主に代わって運んだことが共観福音書に記されています。

 主の十字架の場面において、ヨハネの福音書からのみ分かることを見ていくと、まずその一つは、主の頭上に掲げられた罪状書きは「ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語」の三か国語で記されたということです。ヘブル語はユダヤ人たちの言語であり、ラテン語は当時の世界を支配していたローマの言語であり、ギリシヤ語は東方の国々で最もよく用いられていた言語でした。

 次は、主の「ユダヤ人の王」という罪状書きについてユダヤ人たちが抗議し、それを総督ピラトがとりあわなかったことです。ピラトは無実の主を何とか釈放したいと試みましたが、ユダヤ人たちの圧力に屈しなければなりませんでした。抗議に対する拒否は、彼のせめてもの仕返しであり、それはまた、ユダヤ人たちがローマの支配に甘んじ、自分たちの「王」を見殺しにしているという嘲りを込めたものであったでしょう。

 最後に、ヨハネだけが、主が死の間際に「母」を「愛する弟子」に委ねたことを記しています(26,27節)。このとき夫のヨセフはすでに亡くなっていたと思われます。マリアには四人の息子たちがありましたが(マタイ13:55)、彼らに委ねなかったのはまだ未信者であったからかもしれません(ヨハネ7:5)。いずれにしても、ここから一つの適用を見出すことができるのではないでしょうか。それは、主を信じる者たちは、信仰によって新しい関係に導き入れられているということです。この関係は血縁や利害関係によって生まれたものではありません。教会においてクリスチャンたちは「兄弟」「姉妹」と呼び合います。同じ神から生まれた子どもたちであり、神の家族だからです(エペソ2:19)。

 今日、残念ながら家族によって深い傷を負っている人々が少なくありません。神は教会という新しい信仰による家族の交わりの中で、人々がありのままで愛され、愛することを経験することを願っておられるのではないでしょうか。「互いに愛し合いなさい」と命じられた主のことばに従いましょう(13:34、参 ガラテヤ6:10、マルコ3:35)。

                        このメッセージは2020.5.3 のものです。