主の与える平安 ヨハネ14章27-31節

 わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません(ヨハネ14章27節)。

 主イエスは弟子たちのもとを去るにあたって「心を騒がせてはなりません」(1,27節)と命じ、「わたしの平安を与えます」と約束されました。そしてその平安を「世が与えるのと同じようには与えません」と言われました。

 まず「世が与える」平安はどのように与えられるのでしょうか。それは経済的に豊かに満たされることによって与えられるものです。健康で自由に動き回れることによって与えられるものです。人々から好意をもって受け入れられることによって与えられるものです。これらは自分を取り巻く環境が良好に整えられる事によって得られる平安、つまり「環境に依存した平安」です。

 しかし、このような平安は実にもろいものです。私たちの人生を予期しない様々な困難が襲います。経済的な苦境に追い込まれたり、事故や大病に見舞われたり、家庭崩壊の危機に陥ったり、社会的な信頼を失ったりとさまざまです。環境に依存した平安はこのような状況の中で吹っ飛んでしまうことでしょう。

 では主が私たちに約束してくださっている平安とはどのようなものでしょうか。それは、「神との正しい関係を基盤として与えられる平安」です(ローマ5:1)。「平安」が「御霊の実」(ガラテヤ5:22)に数えられていることからも分かるように、主が与えてくださる平安は私たちの努力や意志の強さによって得られるものではありません。

 人生は私たちがコントロールできないことで満ちています。天候ひとつとっても思いのままになりません。コントロールできないものを自分の力でコントロールしようとするなら不安に陥ることは避けられないでしょう。たえず揺れ動く状況の中で平安を得ることができるとするなら、無力さを認めて神と神の確かな約束に信頼することによってしかありません。船が漂流しないようにするためには嵐に耐えうるイカリを降ろす必要があるのです。

 神はご自身の民に、臨在を約束し、「あなたを見放さず、あなたを見捨てない」と約束されています(ヨシュア1:5,ヘブル13:5)。私たちの人生には何が起こるか分かりません(参 箴言27:1,ヤコブ4:14)。病気にならないわけではありませんし、経済的に苦境に陥ることがなくなるわけでもありません。しかし、神はいつも共にいてくださり誰とも共有できないような悲しみや苦しみを深く理解してくださり、それらを乗り越える力を私たちに与えることができるお方です。

 使徒パウロは「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4:11-12)と語っています。彼がそのように言えたのは、その人生の旅路において信頼できる方により頼んでいたからなのです。

このメッセージは2020.2.2 のものです。