聖書とは

   あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているですものです(ヨハネ5章39節)。

 「聖書」(英語で「バイブル」)は「ビブリオン」というギリシア語から来ています。その意味は「書物や巻物」という意味です。ですから「聖書」はある意味で「書名のない本」とも「第一の書物」とも言えるでしょう。ではその「聖書」とはどのような本なのでしょうか。 

 まず、「聖書は比類のない本」です。時折、ベストセラーが誕生します。しかし、そのブームは長くは続きません。しかし、聖書は時代や民族や国籍を超えて実に多くの人々や分野に影響を与えてきました。とても古い書物でありながら、今日を生きる私たちの必要に答え続けてくれる古くならない、常に新しい書物です。時代の厳しい批判にさらされながらも常に世界のベストセラーであり続けている本です。いったいこのような本が他にどこにあるでしょう。

 次に、「聖書は新しい人生を約束する本」です。聖書は国語辞典のような分厚い書物ですが、その中心は「イエス・キリスト」(ヨハネ5:39)です。そして私たちにキリストによる新しい人生を約束しています(Ⅱコリント5:17)。その約束を手にするためには、神に背を向けている人生が「罪」によっていかに悲惨なものとなっているかをまず知らなければなりません。そしてキリストがあの「十字架」の死によって罪を解決して下さり、神と和解する道を備えて下さったことを受け入れる必要があります。「聖書」は人間が神を求め続けた知恵の結集ではなく、神がご自身から離れていった人間をキリストを通して探し求められた記録(歴史)です。「聖書」が新しい人生を約束する本であることは、実際にキリストを通して新しい人生に導かれた人たちが証ししてくれることでしょう。 

 最後に、「聖書は人生の指針となる本」です。人生は生まれてからこの世を去るまで選択の連続です。日常の小さな事柄から、人生の方向性を決定づける大きな事柄に至るまで私たちは決断しなければなりません。しかし、この変化の予測できないような時代にあって、確かな指針なくしてどのようにして正しい道を選択したらいいのでしょうか (詩篇119:9)。直感や霊能者と呼ばれる人に頼らなければならないのでしょうか。聖書の中に「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる」(箴言16:9)とあります。神は私たちの造り主であるだけでなく、私たちの歩みを確かに導いて下さる主でもあります。そのお方は私たちに豊かな人生を送ることが出来るようにと確かな指針である「聖書」を与えてくださっているのです。

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