あわれみの先例 Ⅰテモテ1章12-17節

 しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容を私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした(Ⅰテモテ1章16節)。

 パウロは、12節から唐突に自分の証しをしているように見えます。しかし、それは自分の証しを通して、このような私でも神があわれみによって用いてくださっていることを示し、困難な牧会の働きに向かわなければならないテモテを励まそうとしているからです。

 パウロがどのようにして復活のキリストとお会いしてキリスト者となったのかは、使徒の働き9章、22章、26章に出てきます(22章と26章では、「私は」と一人称でユダヤ人たちやアグリッパ王の前で自分の救いの証しをしている)。

 パウロは、自分が「以前は、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者」(13節)であった、と証ししていますが、彼がどのような人物であったのかを少し簡単に説明しましょう。彼は、ローマの属州キリキア(現在のトルコ南東部)のタルソで生まれました(使徒22:3)。家系はイスラエルの十二部族のベニヤミン族で、彼自身のことばによれば「ヘブル人の中のヘブル人」(ピリピ3:5)でした。

 生まれはタルソですが、育ったのはエルサレムです。エルサレムでは、当時ユダヤ教の高名な律法学者であった「ガマリエル」のもとで学び(使徒5:34,22:3)、彼は熱心なパリサイ派のユダヤ教徒として生活を送っていました。彼はユダヤ人の母国語であるへブル語を話すだけではなく、当時の国際共通語であったギリシア語も話すことができる国際人でした。

 パウロが最初に新約聖書に登場するのは、主の弟子ステパノが殉教する場面です(使徒7:58)。ステパノの殉教を発端にしてキリスト者たちへの迫害は強まっていきましたが、その迫害の先鋒に立っていたのがパウロでした。彼が執筆した手紙には、かつては教会を迫害する者であったことを記しています(Ⅰコリント15:9、ガラテヤ1:13,ピリピ3:6)。彼はキリスト者たちが信じているような異端的な信仰を放置することはできなかったのです。

 パウロは、キリスト者たちを迫害し教会の息の根を止めることが、神に熱心に仕えることであると信じて疑っていませんでした。しかし、ダマスコ(現在のシリア)への途上で復活のキリストと出会い、自分のしていたことが全くの誤りであることに気づかされ、彼はただちにキリスト者となり、その福音を伝える者へと変わりました。パウロの人生におけるこのような大転換は、復活のキリストとの出会いの体験を抜きにしては考えられない出来事です。そして、それは一方的な神のお取り扱いでした。パウロにとって故意ではなかったとは言え、教会を迫害した自分が赦されたことは「あわれみ」以外の何ものでもありませんでした(13節)。そればかりか、神が自分のような者を信頼して、福音を伝えるという「務めに任命してくださった」ことは感謝なことでした(12節)。神の自分に対するあわれみを覚えるときに、彼の思いは神への賛美(頌栄)へ自然に向かっていることがわかります(17節)。

 パウロは当時の信仰告白の一つと思われるものを引用し(15節)、自分の体験からもそれが信頼できることばであることを認めています。そして、パウロは自分のような者が罪赦され、永遠のいのちを得ることができたのは、どういう神の意図があってのことだろうかと考えたときに、これからキリストを信じて救いにあずかることになる者たちに対するあわれみの「先例」(第三版では「見本」)とするためであったとの思いに至っています。

 私たちは自分の救いが神のあわれみであることを認めます。しかし、家族や友人の救いを考えるときに、落胆してしまうことがあるかもしれません。そのような時にこそパウロによって示された神のあわれみの「先例」を忘れないようにしましょう。

                          このメッセージは2021.1.24のものです。