教会について(4) 教会の目的とは?

 

 ですから、あなたがたは行って、あれゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい(マタイ28:章19,20節)。

「教会について」の四回目のメッセージは、教会の目的(役割)とは何か?です。教会の目的を考え出すことは私たちの役割ではありません。なぜなら、それは聖書から見出すべきことだからです。

 では、教会の目的を三つの視点からみていきましょう。一つ目は、神への愛という視点(上向き)から。二つ目は、未信者への愛という視点(外向き)から。三つ目は、クリスチャンの相互愛という視点(内向き)から。

 教会の目的の一つ目は、「神を礼拝すること」です。どのような宗教においても礼拝は大切なものとされています。初代教会のクリスチャンたちも共に集い礼拝をささげていました。人が何かを礼拝するということは、その対象がその人にとって一番価値があるということを意味します。クリスチャンたちが礼拝する理由は何でしょうか。神が人間を含めたすべての創造者であるからです。神がどのように偉大で素晴らしい方であるかを知るなら、そのお方を礼拝することは当然のことでしょう。また、神は私たちの救い主でもあるからです。かつてはその罪ゆえに神の前に立つことができない者でした。しかし、神はご自身の御子を遣わし、私たちとの和解の道を備えてくださいました。私たちは御子のみわざを通して、神を礼拝できる者へと変えられ、神は私たちを礼拝へと招いてくださっているのです(ヨハネ4:23)。

 次に教会の目的の二つ目は、「未信者に神の愛を伝えること」です。目に見えないお方の愛を具体的にどのように伝えるのでしょうか。一つは宣教のわざを通してです(宣教の大命令 マタイ28:19、マルコ16:15)。神が望んでおられるのは「すべての人が救われることです」(Ⅱテモテ2:4)。そして、神はその救いのメッセージである福音を教会に委ね(参 Ⅰテサロニケ2:4)、宣教の働きを通して人を救おうとされているのです(Ⅰコリント1:21)。

 神の愛は、ことば(救いのメッセージ)を通してだけでなくクリスチャンたちの親切で思いやりのある行動によっても伝えられる必要があります。主は地上の生涯において社会的弱者に対して憐れみ深く接しておられました。主がそうであられたなら、教会もそうすべではないでしょうか(参 マタイ25:31-46)。

 教会の目的の三つ目は、「キリストにあって共に成長すること」(キリストの弟子を育てること)です(エペソ4:13-16、コロサイ1:28)。成長は時間を要する過程ですが、クリスチャンの霊的成長は時間とともに自動的に生じるものではありません。では、成長に欠かせないものは何でしょうか。一つは霊的な糧であるみことばです(使徒20:32,Ⅰペテロ2:2)。しかし、単なるみことばの知識量が増えるだけでは高慢になってしまうばかりで、成長は望めません。理解したみことばに従うことが大切です。たとえば、新約聖書には「互いに・・・しなさい」とのことばが多く出て来ます。たとえば「互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい」(ローマ12:19)、「互いに励まし合いなさい」(Ⅰテサロニケ4:18)、「お互いに平和を保ちなさい」(Ⅰテサロニケ5:13)「互いに忍耐し合い、・・・互いに赦し合いなさい」(コロサイ3:13)。「互いの重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ6:2)。「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)など。それらの勧めは、クリスチャン同士のあるべき「交わり」の姿を示しています。成長は孤立しては望めません。異なる人々との関わりの中で、みことばに従うことを通して育まれていくものなのです。

 教会の三つの目的は、それぞれが重要でありバランスも大切です。神は目的をもって教会を存在させておられます。その目的を見失わないようにしましょう。

          このメッセージは2020.11.29のものです。