バルジライ 謙虚な老人 Ⅱ列王記17,19章

 このバルジライは、たいへん年をとっていて八十歳であった。彼は王がマハナイムにいる間、王を養っていた。非常に裕福な人だったからである(Ⅱサムエル19章32節)。

 「バルジライ」という名前を聞いて、さてどういう人物だったかな、と思い浮かべることがむずかしいかもしれません。聖書の数カ所にしか出てこない、この目立たない八十歳の老人について取り上げましょう。

 バルジライが最初に登場するのは、ダビデ王が息子アブサロムの謀反によって都落ちをして、ヨルダン川の東側にあるマハナイムへと逃れる場面です(Ⅱサムエル17:24-29)。

 ダビデは形勢が不利と判断し、都を戦場としないために、アブサロム軍の追撃を恐れながら、やっとの思いでマハナイムにたどり着きますが、そのときダビデたちは力をひどく消耗し、戦えるような状態ではありませんでした。その彼らを迎え、食糧を提供したのがバルジライたちでした(17:27-)。バルジライは、マハナイム滞在中、ダビデとその家族、兵士たちを支援しました。それがあったからこそ、ダビデたちは戦うための体制を整えることができ勝利することができたのです。もし、バルジライたちの支援がなかったならば、ダビデたちは滅ぼされていたかもしれません。

 形勢は、逃げてきたダビデたちの方が不利だったはずです。バルジライは次のように自分に言い聞かせる事もできたでしょう。「私はもう八十歳だ。残された人生はわずか、このような権力争いには巻き込まれたくない。ダビデたちがこの戦いに勝利するという保障はどこにあるのだろう、いや今の状況は正直に言って劣勢だ。もしダビデたちを助けて、ダビデたちが敗北するようなことがあれば、これまで蓄えてきたすべてのものを失ってしまうかもしれない。勝ち馬に乗るために、今は様子見をして中立を保つのもよいかもしれない」。

 バルジライはリスクを承知しながら大きな犠牲を払っています。「王を見捨てない」という思いをもってダビデたちを支援しているのです。

 バルジライは大きな犠牲を払っているにも関わらず、とても謙虚(控えめで、慎み深いこと)です。ダビデが勝利して(18章)エルサレムへ帰還するのをヨルダン川まで見送る場面で、再び彼は登場します(19:32-)。そこでダビデは彼の支援に感謝して、老後は私がエルサレムで面倒をみるのでと、エルサレムに招待します。それに対して彼は、自分はもう年で、判断力が低下し、王が提供してくれるものを十分に楽しむこともできない、さらには「王様の重荷」になりたくないと言っています。そればかりか、「そのような報酬を、どうしてこの私にくださらなければならないのでしょう」とさえ言っています。彼はしもべの心を持っていて「私は自分ができることをしただけです」という姿勢なのです。

 バルジライはダビデの危機に対して見捨てることはありませんでした。神は私たちを見捨てるような方ではありません。あなたを見放さず、見捨てないと約束しておられます(ヘブル13:5、申命31:6,8、ヨシュア1:5)。そして、「白髪になっても、わたしは背負う」と言ってくださっています(イザヤ46:4)。前途にどのような危機があろうとも、このお方に信頼していきましょう。そして、もし老人といえる年齢まで生きられるなら、横柄で頑固な老人ではなく、バルジライのように謙虚で仕える心を忘れない老人になりたいものです。

                      このメッセージは2020.9.13のものです。