アサ王 だれを求めるのか

 主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と一つになっている人々に御力を現してくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。これから、あなたには数々の戦いが起こるでしょう(Ⅱ歴代誌16章9節)。

 

 アサ王は、南王国ユダの三番目の王でありソロモンのひ孫にあたります。今回は、アサの41年にわたる統治をⅡ歴代誌14-16章から見ていくことにしましょう。彼の生涯からどのようなことを見出すことができるでしょうか。

 まず、主を求めようとするなら、主との関係をそこなうものを取り除かなければならないということです。アサは自らが主を求めるだけでなく、民にも主を求めさせ、父たちがのさばらせていた偶像を取り除いています。神はご自身を求める者たちに安息をもたらし、国に平穏と繁栄を与えておられるのがわかります。神との関係をそこうなうものをそのままにしながら、祝福を当然の権利であるかのように要求しているとするなら、それは身勝手というものではないでしょうか。

 二つ目は、信仰深く歩んでいても問題に直面するということです。心を尽くして主を求めていたアサですが、クシュ人ゼラフの大軍の侵攻にあいます。信仰深く歩んでいても平穏な生活が約束されているわけではありません。しかし、主を求めているアサは、この国難に見事に信仰をもって対処しています。11節の彼の祈りのことばには、主にしっかりと信頼してその困難に立ち向かおうとしている姿があります。神はその信仰に答えて御手を働かせてくださり、勝利と多くの戦利品を彼に与えておられます。

 三つ目は、預言者のことばに励まされて、さらに主に堅く立とうとしているということです(15章)。勝利から戻って来たアサをオデデの子アザルヤが出迎えて、先の勝利の意味と警告を語り、神に堅く立って霊的改革を断行するように勧めています。アサは彼のことばと彼の父オデデの預言に奮い立って、主を求めることを民と共に誓い、契約を結んでいます。9節では、アサの主を求める信仰に共感して、北部族からアサのところに亡命してきた人々がいたことがわかります。アサの主に堅く立つという信仰は、偶像を造った母マアカを皇太后の位から退け、その偶像を廃棄していることにみることができます。

 四つ目は、アサは王としての経験や知識を深めるにつれて、以前のように主を求めなくなってしまったということです。16章の始めには、北王国が侵攻してきて国境近くに「ラマ」を築き、北からの人々の往来を遮断するという出来事が起こりました。するとアサは、北王国のさらに北に位置するアラム(現在のシリア)の王に金銀を贈って支援を求め、北王国との同盟を破棄して、北方からの攻撃を依頼しました。この外交戦略は非常にうまくいき、北王国の部隊はラマを築くのを中断して退却し、アサは彼らが放置していった資材を用いて「ゲバとミッパ」を建設することができたのです。

 戦略が功を奏して気を良くしていたときでしょう。予見者ハナニがアサのもとを訪れて、「アラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした」と語り、クシュ人ゼラフが侵攻してきたとき、どのように神が勝利を与えてくださったかを思い起こさせました。

 アサは予見者ハナニの叱責を受け入れて、「私は目に見える人間の力に拠り頼み、神に拠り頼みませんでした。赦してください」と悔い改めたでしょうか。そうしませんでした。ハナニの言葉に激しく怒り、彼を投獄し、民のある者を「踏みにじった」のでした。結果が良ければ手段はどうでもよいということではありません。また、経験や知識は尊いものですが、尊大になってしまう危険がそこに潜んでいることを忘れてはなりません。


                   このメッセージは2020.8.23のものです。