ゼデキヤ 最後の王 エレミヤ書

    

 彼(ゼデキヤ)はその神、主の目の前に悪であることを行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。彼はまた、・・・イスラエルの神、主に立ち返らなかった(Ⅱ歴代36:12,13)。

 北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされてから百三十六年後に、南王国ユダはバビロンによって滅ぼされてしまいますが、その南王国ユダの最後の王となったのがゼデキヤです。彼の治世9年にエルサレムはバビロン軍に包囲され、11年には城壁は破られエルサレムは陥落します。彼と子どもたちは逃亡を企てますが捕えられ、子どもたちは殺され、彼自身は目をつぶされバビロンへと連行されるために青銅の足かせをはめられてしまいます(Ⅱ列王記25章、エレミヤ書39章、52章)。今日は、国家を崩壊へと向かわせてしまったゼデキヤがどのような王であったのかを見ていきましょう。

 まず、彼はバビロンの王によって立てられ(エレミヤ37:1)、バビロンに忠誠を誓っていた王であったということです(Ⅱ歴代36:13、エゼキエル17:13)。彼の前に王だったエホヤキン(エコンヤ)は、治世三ヶ月と短く、彼の時代に国の主だった人々はバビロンへと捕囚になり、神殿や王宮の財宝の多くもバビロンへと持ち去られてしまいました(Ⅱ列王24:13,14)。国はバビロンに刃向かうことができないように力を大きく削がれ、その後に彼はバビロンの王によってユダの王として立てられたのです。

 次に、彼は預言者エレミヤを通して語られる神のことばに聞き従わなかったというということです(Ⅱ歴代36:12、エレミヤ37:2)。ゼデキヤよりも百年以上前のことになりますが、彼と同じような国家存亡の危機に立たされた王がありました。それは南王国ユダの善王として知られるヒゼキヤです。当時覇権を握っていたアッシリアは北王国イスラエルを滅ぼした後、南王国ユダのエルサレムまで迫ってきました。ヒゼキヤは当時の預言者イザヤに神の御心を求めさせ、彼自身も神の前にへりくだり、心を注ぎ出して神に祈り、その信仰によって危機を乗り越えました。神はご自身のみ手を動かされてユダを守ってくださったのです(Ⅱ列王18,19章)。

 ゼデキヤはヒゼキヤがどのようにして危機を乗り越えたのかを知っていました。そのことはエレミヤのもとに使者を遣わしてエレミヤに語ったことばから伺えます(21:2)。同じような状況の中で、神の超自然的な救出を期待する思いがあったのでしょう。しかし、彼とヒゼキヤとの大きな違いは、ヒゼキヤがしっかりと主への信頼を表明していたのに対して、ゼデキヤはそうではなかったということです。

 ゼデキヤは、何度もエレミヤから生き残る道はバビロンに降伏することであり、そうしないならばエルサレムも焼き払われ悲惨なことになるとの警告を聞いていました(参 21:8,9,34:2-4,37:8,10,38:17-23)。しかし、彼はエレミヤのことばに最後まで従おうとしませんでした。エジプトにより頼む思いを捨てきれず(37:7)、抗戦を主張する首長たちを恐れたからです(38:4,5,24-)。また、先にバビロンに投降したユダヤ人たちを恐れたからです(38:19)。ゼデキヤが国を滅ぼすことになったのは、忠誠を誓っていたバビロンに対して優柔不断な態度をとり続けたからです。しかし、それは人間的な視点です。神はユダの背信の罪を裁くためにバビロンをご自身の「しもべ」(25:6,27:6,43:10)として用いられたのです。バビロンに仕えた先に回復の希望があるとの神の約束にしっかりと彼は立つことができなかったのです。危機に直面したとき信仰がためされることになるのです。

                     このメッセージは2020.7.5のものです。