告別の祈り(1) ヨハネ17章1-19節

 わたしは彼らのために、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです(ヨハネ17章19節)。

 この17章は「大祭司の祈り」と呼ばれている主イエスのとりなしの祈りです。17章が祈りであることは、主が繰り返し「父よ」(1,5,11,21,24,25節)と呼びかけていることからも分かります。主は創造前から父なる神とともにおられたお方であり(5,24節)、父なる神からこの世に遣わされ、今まさにその遣わされた最後の使命を成し遂げて父のもとへと行こうとしておられました(11,13節「あなたのもとに参ります」16:28)。

 この祈りは三つに分けることができます。5節まではご自身のために祈り、6-19節では、地上に残していかなければならない弟子たち(使徒)のために祈っています。20節以降では、弟子たちの宣教によって将来ご自身を信じる人々のために祈っています。

 まず、主はご自身のためには、「時が来ました。…子の栄光を現してください」(1,5節)と祈っておられます。「子の栄光」とは十字架の死を意味しています(参 12:23「人の子が栄光を受ける時が来ました」)。十字架は最も重い残酷な刑罰であり、それにかけられる者にとって苦悩、恥辱、敗北をあらわすものです。これほど「栄光」からかけ離れたものはありません。しかし、主は父がご自身を遣わされた目的はその十字架による贖いの死であること知っていましたから、「あなたの栄光を現すために」と求めておられるのです。十字架の死は決して志半ばの挫折を意味するものではなく、人々に「永遠のいのち」がもたらされるために不可欠なものであったのです。

  次に、地上に残していかなければならない使徒たちのために何を祈られたのでしょうか。その前にまず、主によってとりなされている弟子たちはどう呼ばれているでしょうか。 父が「世から選び出して」(参 15:19)主に「くださった人々」(2,6,9,24節)と表現されています。そして、主はご自身が父から世に遣わされたように、今度はご自身によって彼らを世に遣わされた者として見ておられます。

 主が弟子たちのために何を祈っているかの一つ目は、「あなたの御名によって、彼らをお守りください」(11節)、「わたしがお願いすることは彼らを…悪い者から守ってくださるようにお願いします」(15節)とあるように、彼らの「保護」です。16章ではすでにこの世からの迫害が避けられないことを主は予告しておられましたが、ここでは彼らがこの世の背後にあって働いている「悪い者」から守られることを祈っています。

 二つ目は、「真理によって彼らを聖別してください」(17節)とあるように、彼らの「献身」です。「聖別する」とは、当時犠牲に対して普通に用いられた用語でした。主はご自身を「聖別します」(19節)と言っていますが、それはご自身を十字架の死へとささげますという意味です。弟子たちをこの世に派遣する主にとって、彼らがその使命をどのように果たすかということは大きな関心事でした。それで彼らがみことばによって良き働き人として霊的に整えられるように祈っているのです(参 Ⅱテモテ3:16-17)。

                         このメッセージは2020.3.15 のものです。