御霊の働き ヨハネ16章1-15節

             

 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」(ヨハネ16章13節)。

 主イエスは、弟子たちを地上に残して、ご自身を「遣わした」父のもとへと行こうとしておられました。主は彼らに対する「迫害」(2節)や彼らの「悲しみ」(6節)を知っておられましたが、ご自身が去っていくことは「あなたがたにとって益」となるのだと語らなければなりませんでした。弟子たちにとって、それは十分に理解できない事柄であったに違いありません。しかし、「使徒の働き」を読む者たちは、それが確かにそうなっていることを理解します。主が肉体をもってこの地上に留まっておられたとき、その働きは限定されたものとなっていました(局地的、外的)。しかし、御霊が遣わされてからは、その働きは大きく拡大していきました。

 主が御霊に言及されるのはこれで四回目ですが、ここでは「御霊とこの世」、「御霊とキリスト者たち」、「御霊とキリスト」、この三つの関係を明らかにしておられます。まず御霊は罪について、義について、さばきについて、「世の誤りを明らかになさる」るお方として紹介されています。この三つはキリストとの関係で説明されていることを見落としてはなりません。罪とはキリストを信じないことであり、キリストの義(正しさ)とはキリストの復活と昇天において確証され、さばきとは一見敗北と見える十字架に勝利があることを御霊は明らかにされます(参 Ⅰヨハネ3:8、ヘブル2:14,15)。

 次に御霊はキリスト者たちを「すべての真理に導き入れ」てくださる方として紹介されています。ペンテコステ以降の弟子たちの言動には確信と大胆さが見られます。困難なこの世の旅路において、確かな導き手が備えられていることは幸いなことです。

 最後に主は御霊をご自身の「栄光を現」す方として紹介しています。御霊はその注意を自らにではなく、キリストに向けさせるお方です。今日、御霊についての理解ほど教会を混乱させているものはないかもしれません。私たちは神の多様な働きを人間的な視点で限定してはなりませんが、一方、その働きが確かに御霊によるものであるかを、先のみことばによって確かめる必要があります。もしそうしないなら、異教的な思想の影響を受けていることにさえ気づかないということが起こってきます。

 御霊は今日、キリストを信じる者のうちにおられます(参 ローマ8:9)。神の三位格であるお方が私たちのうちにおられるとはなんと畏れ多いことでしょう。また、それはなんと大きな特権でしょう。これはキリストが救いのみわざを完成して昇天され、ご自身の代わりに御霊を遣わして下さった結果なのです。

                        このメッセージは2020.3.1 のものです。